第十五話:生き甲斐

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 筍は診察中にお年寄りに向かってよくこう云います。

「こんなに機嫌がいい心臓なら当分止まることはないねえ」

すると多くの婆様達はこう返されます。

「もういつお迎えが来てもいい。早く迎えが来て欲しいもんだ」

「まだ動くかね、難儀なこっちゃのう。はよ逝きたいのに」

 ところが爺様達はそうは云いません。嬉しそうな顔をされ皆素直です。この違いは何でしょうか。

 筍は幾人かの婆様にどうしてそう想うのかを訊ねてみました。

「もう生きとっても楽しみなどありゃせん。早よ息子のとこへ逝きてえもんだ」

「痛いとこばっかしで苦しいだけだで」

 それぞれの表現は若干異なりますが、まあ皆さん似たり寄ったり、こんな答えが多いようです。

 ですがひとつ判りました。

 そんな風に答え婆様は、連れ合いに先立たれた独り身の婆様なのです。じいさんの世話をしている婆様は決してそうはおっしゃいません。きっと独り身の婆様の生き甲斐の無さと孤独がこう云わすのでしょうね。どんなに手のかかる爺さんでも生きてさえあれば婆様の孤独感が癒します。世話を焼くことが生き甲斐にもなるのでしょう。

 死を考えることは生を考えることです。生きるということは幾つもの諦めを重ねることです。いろいろなことを、諦めて、諦めて、世の中に妥協をし迎合して、苦しみを忘れ、悲しみを乗り越え手、生き続けるのです。

 生きてきたようにしか死ねません。

ときどきは死について考えてみては如何ですか。

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