第九十七話:『恐るべし お夏』

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 午前の診療もようよう終わり、午後の往診に備え準備に余念のないある昼下がりのこと、けたたましく電話が鳴りました。

「もしもし、たけのこ診療所ですが」

「わたし夏江です。なんやからだが、しんどおて、しんどおて、どもならんのじゃ。時間外ですまんけど診てやってはもらえんかのう」

「しんどいってどうしんどいの。どこか痛むの」

「何とも云えんくらいしんどいんじゃ」

 何となくいやな予感がしたのです。でもねえ、そんなにしんどいんじゃ放っとくわけにもいきません。すぐに来てもらうように応えておきました。待つほどもなく爺さんをお供にやってきました。診療所の玄関のガラス戸を開けるのもしんどそうです。腰を少し屈め加減にゆっくりと入ってきます。いまにも倒れ掛かりそうな気配です。待ち合いの椅子にへたり込んで顔を伏せております。

 たけのこ診療所が誇る美人看護婦のみよちゃんが優しく呼び込みます。

「夏江さん、お入り下さい」

 診察室の部屋に入ってくるお夏の足取りは先程までの難儀そうな足取りとは打って変わっております。むしろすたすたとことこ元気です。顔色も悪くはありません。普段通りの脂ぎった赤ら顔です。

「どうしたの」

「なんやしんどおてしんどおて。昼になってだんだんとほとくのうなってきて、腹もにやにやするで」

 「ほとくない」とは心細いという意味らしい。なかなか良い響きを持った言葉ですね。「腹がにやにや」、痛むではないがお腹の調子がいまひとつといった意味らしい。そういえば、「胸がこわい」もよく云いますね。筍にはいまいちよくそのニュアンスが掴めませんが。

「いつからしんどいの」

「今朝の十時くらいからだ。胸もこわいしのう。頭も何とのう重たいし。濃しと膝は前からずっと痛むしのう」

 まあやたらと訴えは多いのです。症状それぞれの繋がりも特には無いようです。もうちょっと客観的に話してくれると筍医者も助かるのですがねえ。まあ、そんなこと、望むほうが無理だわねえ。

「腹がにやにやっていつからよ。頭が重たいのはいつからや。胸がこわいのはいつからだ」

「何とも云えん。よう覚えとらん」

 血圧も、脈拍も、呼吸音も、呼吸回数も、体温もなあんも異常はないのです。

「あんたがちゃんと答えにゃ、こっちもよう判らんが。食欲はどうだ、お昼御飯は食べたんか」

「食欲はあるで。御飯もようけ食べれるで。せんせなら診りゃあ判るじゃろと思てな。儂、どこが悪いんじゃろ」

 ちっと腹が立ってきました。少々投げやりに口から出任せに応えたのです。

「頭がわるいんじゃ、頭が。まあ俗にいう血の道じゃの」

突然、婆さんの眼が輝き出しました。

「そやろ、血の道がわるいんじゃ。儂のしんどいんは、他人にはよう判らんで。血の道じゃ、血いの道がわるかったんじゃ。そうじゃな、せんせっ」

 頭が悪いといったことはどうやら聞こえなかったようです。えらい嬉しそうな顔をしています。

 可愛いみよちゃんに云ったのです。生食5ml筋注してあげてって。萎びたお尻に打ってやれとね。

「お夏さん、血の道の特効薬の注射しとくから、家に帰ってゆっくりしとき」

 注射が終わってすぐのことでした。

「ああ、おかげで楽になったよう。よう効くなあ、この注射。もう大丈夫だ、もう帰るで」

 来たときの足取りとは大違い、まるで走るように帰っていきました。爺さん、後を追うのが大変そうです。

 果たして何を訴えているのでしょうか。何かがあるんでしょうね、きっと。たけのこ医者にはよく判りません。その後も婆さんは元気です。診療所を訪ねたときの重病を装うあの芝居。

 役者のう、お夏!

 恐るべし、お夏!

 血の道はお夏、蛇の道は蛇。

「口ごたへ すまじとおもう 木瓜の花」   立子

2 thoughts on “第九十七話:『恐るべし お夏』

  • 筍先生のブログにようやく辿りつきました。
    開院誠におめでとうございます。
    多くの患者が如来山クリニックで救われることを思うと喜ばしい限りです。
    「点」から「面の医療」に腐心され、今後は点を線にし、線を面にし、面を立方体にする構想力は、筍先生の人柄をもってしてかなえられると考えます。
    「如来山診療譚」を拝読し、古稀に近づきつつある我が胸がつまります。

    • お久しぶりです。お元気ですか?内覧会&祝賀会にはご来臨頂けず誠に残念でした。いずれ機会がありましたら是非お立ち寄り下さい。

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