第百五話:『あえぎ、喘ぎ、あきれ、呆れ その一』

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 もうそろそろ寝ようかとする夜半のこと、突然、電話がけたたましく鳴り出しました。

「もしもし、筍ですが」

「せんせっ、太郎吉です。さっきから腹が痛み出して・・・、ハアッ、ハーアッ。正露丸呑んだら少し収まってきたけど・・・、アハッ、アハーッ。なんや身体中に“ほろし”が出てきて、痒うてならんのですわ。さっきから一生懸命掻いとるけど、ちっとも収まらんで」

「ほろし?発疹のことかい?何か悪いもんでも食べたんか?それに痒うても掻いたら余計に痒なるで、掻いたらあかん

 “ほろし”とはこの辺りの方言で蕁麻疹のことのようです。

「晩御飯に鯨の“うでもん” 喰うたんですわ・・・。賞味期限過ぎとったんですが、まあ良かろうと喰うたんです、ヒイッ、ヒッ、ヒーッ。今から診ては貰えんでしょうか」

“うでもん”とは紀州名物の鯨の臓物の茹でたもの。薄くスライスして芥子醤油や山葵醬油で食べるんです。酒のあてにはなかなかのもんです。

「賞味期限切れとる?何でそんなもん喰うたんや」

「いや、せんせっ、捨てるのんももったいないで、うちの婆あが喰えっちゅうたんですわ・・・、アヘッ、アヘ、アヘーッ」

「婆さんが喰えいうたから喰うたってか・・・。まあ、何てことするんやら。腹も身の内っていうだろ」

 何や太郎吉爺さん、今にも死にそうです。でもその割には声に力が漲っております。元気そうなのです。でもこの喘ぎ喘ぎの息づかいはいったい何なんでしょう。筍にはよう判りません。いや、もう厭ほど判っております。いまとなってはね。ここら辺の年寄りの行動パターンは全てお見通しの筍です。

「こんな夜更けに誠に済まんのですが、注射の一本も打ってやってはくれんですか・・・、へエッ、へーエッ、へ、ヘーッツ。もうあかん、もう苦しい、アハッ、オホッ、エホッ」

「おいおい、そんな息せんでも、ちゃんとゆっくり息しいや。あんまり喘ぐと両の手が痙攣起こすでのう。まあ兎に角、直ぐにおいで」

 すぐさま寝間着を着替えて診療所に行きました。玄関の鍵を開け、灯りを煌煌と照らし、太郎吉爺さんを待っておりました。空には下弦の月、向かいの山では梟が鳴いております。静かです。灯りが点るのは診療所だけ。爺さん、婆さん達はもうとっくに寝静まったようです。

 太郎吉爺さんは今年で確か八十二歳になった筈。それにしてもねえ、妙齢のご婦人の喘ぎ声ならまだしも、八十過ぎた爺さんの喘ぎはねえ、どうにも頂けません。少なくとも筍の趣味ではないのう。

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