第百八話:『血圧フォビアの寅次郎』

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寅次郎は今年83歳、もう長いこと高血圧で通院中。

寅さん、ある日、云いにくそうに切り出しました。

「せんせ、待合いの血圧計狂っとるんではないかのう」

「えっ、そんなことないと思うけどなあ」

「でも家で測るんと、ここで測るんと、だいぶ違うんじゃ」

「どのくらい違うの」

「今朝寝起きに測ったら、上が135で下が84だったのに、ここへ来て測ったらえろう高うなっとる。薬もちゃんと呑んだのに。診療所の血圧は高う出るとみんなも云うとるしな」

「来てすぐに測ったんと違うんかい」

「いや、ちゃんと30分座っとってから測っただ」

「そうか、じゃあね、白衣高血圧と云うてな、藪医者に近づくと血圧が上がることがあるんじゃ。緊張の為でな、ほんとの血圧とは違うから安心したらええで。きっとそれじゃ」

「でもな、せんせ、待合いの血圧計、測る度毎にちっとずつずれるんやで。ほら、これ見てや。1回目は156と89だったのに、2回目すぐに測ったら今度は149と82だったで」

「血圧ちゅうもんはな、いつもいつもおんなじ圧ばっかりじゃないんやで。息を吸うたときと吐いたときでも違うし、美人を見りゃあ上がるしの。それにしてももう長いこと、美人なんて見たことないなあ・・・」

「ほんにのう、せんせ。婆さんばっかじゃからのう。せんせも可哀想じゃのう」

「ほんとにそうじゃあ、爺婆ばっかだもんなあ。可哀想な筍じゃあ」

「ところでせんせ、この前、大阪の息子のとこ行ってな、鶴橋で焼き肉喰おかっちゅうことになってな。みなで焼き肉喰うて、生ビールようけ飲んで、酎ハイも仰山呷って、そいで帰りに汽車の中でもちっと酒呑んだんだ。そしたら家に帰って頭が痛うなってな。血圧測ったら190と100もあったんじゃ。大丈夫やろか」

「大丈夫な訳あらへんが。好き放題やって脳卒中で倒れたんなら本望と違うんかい。そんな生活やっとれば、そりゃあ血圧も上がるわな」

「やっぱ、そうかのう。ちっと酒も控えんとあかんかのう」

「いつも云うとるじゃろが。塩っ辛いもん控えて、酒も控えて、食べるのは腹七分ってな」

「そんな仙人みたいなことできるんなら、今頃もっと偉うなっとるでよ」

「それならそれで、ちっと血圧が揺れたぐらいでおたおたせんと、焼き肉でも何でも鱈腹喰うて、しこたま呑んどりゃええんじゃ」

「あかん、まだ死にとうないで。これからは気い付けるで。そんな冷たいこと云わんと診てくれよ、頼むで、せんせ、せんせだけが頼りなんじゃから」

「筍頼ったって、死ぬときは死ぬでの。じたばたせんと、今元気にしとられることに感謝して、のんびりやっとりゃええんじゃよ。ところで寅さんは、いったい幾つまで生きたいんじゃ」

「そりゃ、せんせ。100でも200でも、元気で焼き肉喰えりゃあ、幾つまででも生きていてえ。死ぬのはおとろしいでのう」

「死ぬのが恐いって、死ぬことの何が恐いんじゃ。苦しかろうことか、もう二度と目が開けへんことか、冷とうなってやがて腐ってしまうことか、寅さんがこの世の何処にも居らんくなることか」

「わしにゃあ、そんな難しいことよう判らん。よう解らんけど恐いんや。せんせは恐くはないのんか」

「儂はそんなに恐くはないのう。もう幾人も死んでいくひと診てきたし・・・。もっとも自分の番となったら慌てるかもしれんけどねえ。歳とりゃ、腰も痛うなる、膝もぎしぎし鳴りだす、だんだん動けんくなる。けどな、寅さん、もし寅さんだけが年取ってよぼよぼするんなら、こりゃあ、お釈迦さんにでも文句の一つも云わんならん。けどみんな例外なしに、いずれは死ぬんじゃ、文句はないで」

「そりゃそうじゃ・・・」

「死ぬときまで笑って生きて、ほんのちっとはひとの為にもなって、死ぬときがくりゃあ、じゃあねって、じきに死んだろって、思えんかいなあ。寝たきりが長うなっては辛いじゃろうけどね。無理かのう、ただただそいでええんじゃけどねえ。そうは思わんかい」

寅さんはいつになくヒポクラテスのようでした。哲学者の顔しとられました。

血圧上がらにゃええけどね。

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