第百五十六話:『信頼醸成の特効薬;オキシトシン』

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ハイビスカスの花芯

ハイビスカスの花芯

 

なんだか深刻そうな顔をして診察室の椅子に腰を下ろしたお藤婆さん、曰く、

「ずっと前からせんせに、云おう、言おう、とは思うとったんだが、よう云わんかった。今日は思い切ってゆうで、怒らんといてよ。この前から頭がふらふらして気持ちが悪うて。かだらがかいだるいし、腹もにやにやするし、何とのう胸もこわいし、肩も凝るし、頭の後ろがぴりぴり痛むし、膝も腰も痛いし・・・。どうも先生からだされたこの薬を飲むと調子が悪うて。せんせには悪いんだけど、この前から自分で止めとる。薬呑むの止めたらちっと調子が戻ってきたで」

「ちょっと待ちや、あんた、この前は心筋梗塞の胸に貼るやつ使うと、どうもしんどいゆうて、貼るの止めたやろ。今度はこの血圧の利尿剤が調子悪うする原因てか」

「いえ、せんせの薬はええ薬ばっかだで。有り難い思うとる。でもこの薬は儂には合わんようでの。せんせの手患わして悪いんやが」

「薬が合わんゆうたかて、あんた、この薬、もう三年以上も飲んどったんじゃ。なんで今になって調子が悪うなるんや。薬の副作用なんかじゃないと思うけどなあ。少なくとも膝や腰や肩の痛みは使い込んだ道具が錆びたようなもんだ。どんな道具でも八十年も使えば、錆びもくるし、がたつきもするでのう」

「でも絶対、この薬があかんのじゃ。止めたら調子ちっと戻ってきたようじゃし」

「あんたが飲みとうなけりゃ、別に飲まんでもええで。けどな、心臓の薬も止めて、血圧の薬も止めて、ほんとうにええんかい。今日の血圧もえろう高いしのう、ちっと心配じゃのう」

「もうこの歳じゃもの。早うお迎えが来てくれんと子供たちにも迷惑掛けるしの。薬はもうええ」

「そうか、じゃあもう止めとこか。ところであんた、前から飲んどるってゆうとった四、五種類の健康食品、あれも止めたんか」

「いや、あれは飲んどる。あれはかだらにええで。無くなる頃にはちゃんと電話くれて送ってくれるしの。診療所よりよっぽど親切じゃもの」

「高い金払うほどの効果はないと思うけどなあ。もしそれがよう効くんなら、あんたの望みの早う逝きたいってのも、かなえられんが。早よ逝きたいのなら、それらも止めときよ。それに電話くれるんは親切じゃのうて、金儲けだからじゃないか。あんまりそんなもんに騙されんほうがええがのう」

「いや、あれはテレビでもやっとったし。かだらにええはずじゃ。よう広告にも出とるし」

「テレビでゆうとることも、広告も、本に書いてあることも、結構、嘘が多いんやで。もっと賢うならんとあかんで」

「せんせはなにかい、儂が惚けとるとでも云いたいんか。わしゃ、まだ惚けとりゃせんで。ちっと物忘れするくらいなもんじゃ」

「そうじゃ、あんたは大丈夫じゃ。歳の割りにはしっかりしとる。薬は止めときゃええで。まあ、調子が悪かったらいつでもおいで」

医者と患者、信頼関係があって初めて成り立つ契約だわな。でものう、テレビでやっとったとか、新聞に出てたとか、本に書いとるとか、近所の誰それが云うとったとか、そっちのほうがよっぽど信頼が高いんじゃ、医者なんてやってられんの。信頼感が醸成されておらんのだよ、ここじゃさ。誤信、迷信、妄信の類いがとっても多いしの。

嗅ぐと信頼感が高まる物質って知ってます?神経ペプチド「オキシトシン」を嗅ぐと、他人への信頼が高まるという研究が最近スイスで発表されたんじゃ。この物質は感情に係わるさまざまな行動と関係があるとされ、人間においては出産や授乳を促進し、母子の結びつきにおいて重要な役割を果たしているんだとさ。

動物では他の動物が持つ本来の正常な警戒心を一時的に弛め、「接近行動」を可能にすることで交配を促す働きがあると考えられている。

クリニックの界隈に撒いたろかしら、オキシトシンをさ。サリンはおっとろしいけど、オキシトシンならのう、乳もよう出るじゃろしの。ちったあ、筍に対する信頼感も増すじゃろし。

もっとも、口の減らん皺くちゃ婆さんの萎びた乳が張ってきたりしたら、ちと気色悪いわな。

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