第百五十八話:『お地蔵さん』

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ある“みくまの”の老夫婦のこと。何ということもなくふと思い出すことがあります。いや今ではもうお二人とも居られませんが・・・。

爺さんの名前は道晴、婆さんの名前は珠恵。おふたりとも、傘寿をとうに過ぎております。集落を見下ろす山の中腹に二人の家はありました。家の周りには僅かの畠、裏山には小さなお稲荷さんが祀られております。足さえしっかりしていれば五分もかからない距離です。そのお稲荷さんにお詣りするのが道晴爺さんの日課、一日たりとも欠かしたことはなかったのです。

道晴爺さんの診断名は慢性呼吸不全と慢性心不全、珠恵婆さんは変形性脊椎症と骨粗鬆症、お二人とも次第に認知症が悪化しつつあります。道晴爺さんは小柄な体格でぽっちゃり型、顔も真ん丸で、いがぐり頭です。肺気腫の進行により、喀痰量が多く、喘ぎ喘ぎでした。いつ痰が詰まって危篤状態に陥るか、筍は気が気じゃありませんでした。身体を動かすとすぐに息が切れてしまいます。このため自宅に酸素吸入器を設置し、必要に応じて酸素吸入をして頂いておりました。珠恵婆さんは細身の長身、若い頃は教職についておられたとか。骨粗鬆症のために背骨が酷く変形し、まるで蝦の如くに腰が鋭角に折れ曲がっています。しっかり者の婆さんでした。道晴爺さんは若い頃こそ亭主の威厳に溢れて居りましたが、最近ではすっかり婆さんに頼りきりです。ほんの僅かな時間でも婆さんの姿が見えなくなると、すぐに婆さんを呼ぶのだそうです。呼んでも来ない時には、よたよたと婆さん探して畠にまで出るのだそうです。呼吸が苦しいので大きな声は出せません。ひそひそ声のような掠れた小さな声で、

「婆さんやああ、はよ戻って来いよお。何処へ云っただよお」

珠恵婆さんが筍に訴えるのです。

「まあ、せんせっ、聴いてよ。ちっとは畠の草でもとろうと思って出掛けると、すぐにはよ戻って来い、早よ帰れと捲し立てるんで。わしゃ仕事も何もできゃせんで」

筍は答えます。

「男はの、幾つになっても愛しい女が横に居って欲しいもんじゃでの。こうやって年寄り二人で静かに暮らせる幸せを嚙み締めにゃああかんでよ。神さんに感謝せんとなあ。あんたを呼んでくれる爺さんの声が聞けんくなったら、あんたも寂しゅうて寂しゅうて、やっておられんくなるでの」

婆様曰く、

「そやろか。わたしゃ、このひとの世話を見るんが仕事で、他のことなあんもできゃせんが。ちっとは大人しゅう待っとって呉れたら、どんなに楽なことか」

爺様曰く、

「そんなに呼びゃせんが。だいたい婆さんは大袈裟だでいかん。呼んだらすぐ来いっていうとるだろうに、ちっとも来んといて」

秋も深まったある年のことでした。道晴爺さんが風邪をこじらせて入院することになりました。それまでの自宅での婆さんとの二人暮らしは一変しました。両手は持続点滴のためにベッドに縛り付けられ、顔は酸素マスクで覆われ、尿道カテーテルも挿入されました。ベッドに張り付けにされたような状況でした。それでも幾日か経つと治療が奏効したのか、肺炎は治まる気配となりました。ですがストレスは爺さんを極限まで苛んだのでしょう。

或る日のことでした。患者に厳しいので有名なあるベテラン看護師さんが検温と血圧測定のためベッド脇にやってきました。すると爺さん、やおら点滴の管を引きちぎり、酸素マスクも放り投げ、尿の管も無理矢理引っこ抜いてしまったのです。少し元気が出たのでしょうか。でもそれだけでは済みませんでした。爺さんの眼はギラギラと光って吊り上がり、まるでお仁王さんの如く真っ赤でした。全ての管から解放された爺さんは、ベッド柵に据付けられていた点滴棒を引っこ抜き、長刀の如く振り回しながら、件の看護婦さん追い掛け始めたのです。なにか言葉にならぬ大声を発していたと申します。病室のテレビは叩き毀され、まだ片付けの済んでいない朝食の配膳車が倒され、廊下は足の踏み場もない惨状だったと申します。爺さんの大活劇で病棟中大騒ぎになったようです。普段はニコニコと、とても柔和な道晴爺さんなのです。鬼神のごとき振舞だったと、あとで婆さんが震えながらに申しておりました。

その大騒動から幾日も経たぬうちに、爺さんは退院しました。追い出されたのでしょう。すぐに往診致しました。道晴爺さんがしみじみと筍に訴えます。

「せんせ、わしゃもう入院はこりごりじゃ。今度悪うなってももう入院だけはさせんといて欲しいんじゃ。わしゃ、ここで死ぬで」

掠れた小さな声でこう訴えるのです。筍は云いました。

「解った。今度悪うなっても入院はもうさせん。ここで面倒見るから、安心しとき」

それからも繰り返し繰り返し、爺さんは筍に頼み続けておりました。もう絶対に入院は厭だと。ここで面倒見るから安心したらと返すと、爺さんは本当に嬉しそうでした。入院中の武勇伝はほんの一欠片も爺さんの頭に残ってはいないようです。婆さんがあのときのことを云うと怒り出すのだそうです。揶揄われているように感じるのでしょうか。

それから数年、道晴爺さんと珠恵婆さんの二人暮らしは何とか続いておりました。しかし寄る年並には勝てません。二人とも次第に弱っていきました。老化のプロセスは一定の速度で進行するものではなく、ある時を境に一挙に老け込み弱るのです。そしてやがて亦一段低い安定期に入るのです。それの繰り返しです。

あの入院騒動以来、道晴爺さんのお稲荷さん詣では不可能なこととなりました。珠恵婆さんの腰もいよいよ曲がって今にも顔が地面に付きそうなくらいです。認知症も益々酷くなっています。それでも老夫婦だけの生活は平穏そのものでした。庭にも下りられなくなった爺さんは、洗濯物を取り込んだ婆さんから、それらを受け取り、日のあたる縁側で洗濯物を畳むのが日課でした。筍が往診に行く度に、縁側に両手をついて深々と頭を下げて迎えてくれます。筍が往診を終えて帰る時も、ままならぬ身を精一杯動かして見送って下さるのです。振り返り、振り返り、そのお姿を見るにつけ、いつも筍は思ったもんです。ああ、まるでお地蔵さんのようだなって。お二人の周りには実にゆったりとした穏やかな時間が流れておりました。つくづく人間って、いいもんだなって思っておりました。

そんなお地蔵さんにももう会えません。紀州は遠くなりつつあります。

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