第七話:いまどきの在宅医療

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IMG_1840.JPG   筍農園:真桑瓜(金俵)

 

 社会の急速な高齢化に伴い、必然的に在宅医療の拡充が医療・介護行政にとっての急務となりました。厚生労働省の主導で、それぞれの地域の独自性に基づいた地域包括ケアシステムの構築が模索されています。

 大仰に言えば、町の至る所で、グループホームやデイサービスセンター、老人保健施設や特別養護老人ホームなど、多くの介護施設を目にするようになりました。また、外来診療は行わず、往診業務のみに特化した診療所も数多く見聞きされるようになってきました。こうした社会の趨勢に起因するものとして、医療と介護の連携において、いくつかの重大な問題が顕在化しつつあります。

 在宅医療とはそもそも一体どんな医療なのでしょうか。

 在宅医療の定義としては、「医療者が通院困難な患者の自宅や老人施設などを訪問し、緩和医療や保存的治療などの医療行為を行うもの」と定義できます。治癒可能な疾病や是正可能な病態は、入院治療や外来治療の適応であって、在宅医療の適応ではないのです。この点が重要な点だと筍は考えています。

 在宅医療の目的は、疾病の治癒を目指すのではなく、そのひとらしい時間を、住み慣れた場所でゆったりと過ごすことです。

 在宅医療専門に展開する診療所であるにも拘わらず、時間外の急変時には、診察もせずに即刻救急車を呼んで病院へ行けと指示する。あるいは、グループホームなどへ出向き、数多くの入所者を一気に診察して、在宅診療の点数を稼ぐ。精神活動さえ極度に制限された寝たきり患者に、胃瘻や経静脈栄養などの強制栄養法を機械的に継続して、無為な時間の経過を強制する。

 こんな状況を許しておいてよいのでしょうか。回復の見込みもない重度の脳梗塞患者を、胃瘻栄養や中心静脈栄養のみで、何年も生き存えさせる。頻繁に誤嚥性肺炎や尿路感染症を繰り返し、その都度、救急外来に受診して、入退院を繰り返す。救急救命医も疲弊してしまいます。そんなことを患者さんは望んでおられるのでしょうか。

 あえてご批判を恐れずに宣言します。「生きる」ということの最低条件は、「自力で飲み食べられる」ということではないのでしょうか。人生における最後の仕事は自力で食べること、自力で飲むことです。勿論、限られたある一時期のみの摂食不能はこの限りではありません。そのための胃瘻栄養や中心静脈栄養なのです。医療機関の収益向上のためのスキルではありません。どんな状態であっても、それでもとことん生かしたいと、もし家族が願うのなら、それは保険外診療としてやればよいのです。

 いったい、いつまで生き存えさせれば満足なのでしょうか。もし皆さんが当事者となられたとしたら、意識も無く胃瘻や経静脈栄養に頼らざるを得ないという状況に陥ったとき、それを許容できますか。胃瘻造設に関わる殆どの医師は、もし自分がそういった状況になったとき、胃瘻はまっぴらと考えているのです。

 在宅医療は医療者独りに任された、謂わば、“ブラックボックス“のなかの行為です。医療者の倫理観と哲学が問われて然るべき領域です。きめ細かな検証が必要です。

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