第十二話:死にゆくひとの看取り方

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               柘榴の花 

 

 死を目前に控えた人はいろいろな症状で苦しむことが多いようです。寝ているだけでも結構体力を消耗するのです。

 身の置き所がないような気怠さ、息苦しさとか痛みとか、とかくいろいろな辛さを周囲の皆に訴えるものです。

 注意しなければならぬのは、患者さんの訴えは時に代償行為としての側面があるということ。訴える症状のみに気をとられて、薬に頼っても、訊かない場合も多いのです。

 例えば、足が痛い、肩が痛い、背中が痛いと夜中じゅう訴え続ける患者さんがいたとします。そんな患者さんに如何なる鎮痛剤を処方しても、全く訊かないことも数多いのです。

 むしろ、「痛いねえ」、「苦しいねえ」と共感してあげること、そして、手でも足でも優しく摩り続けてあげるのです。身体の何処かを常に誰かが支えてくれている、そんな些細なことが患者さんには大きな救いになることがよくあります。

 死を目前にした人間にとって、一番辛いことは、肉体的な苦痛よりも、精神的苦痛のようです。そう、寂寥感とか孤独感とかいったものであるようです。傍に誰か最愛のひとがいる、そのひとの肌の温もりが直に感じられる、その温かさが救いとなるのです。

 多くのひとが恐れる癌の痛み、確かにとても酷い痛みをもたらす癌も稀にはあります。ですが、殆どの癌の痛みはよくコントロールできるようになりました。90%以上は制御可能といわれています。

 おふくさんは末期の胃癌患者。発見されたときには既に、癌は肝臓や腹膜にまで転移して、手遅れでした。ひとのよい気さくな婆様でした。口が渇くといっては日に何十回も水をせがみます。1回に飲む量はほんの僅かなものです。口でハアハアと喘いでいるおふくさんは何分もせぬ間にすぐに喉が渇いてしまうのです。背中が痛い、お尻が痛いと訴える度に身体の向きを変え摩ったりしなければなりません。腹水も溜まってきました。蛙のお腹のようです。座ることも出来ません。

 そんなある日、家族の方から電話が入りました。

「おばあちゃんが痛がって苦しそうです。なんとかして頂けませんか」

おふくさんのお宅に伺うと、ご長男とお嫁さんが疲れた顔で出迎えてくれました。一ヶ月も経つと付き添いもだんだんと疲れてきます。

 おふくさんに声を掛けました。

「ふくさん、気分はどうですか。どこか痛みますか」

 おふくさんはこちらを見て、にっこりと笑って両手を併せて筍を拝んでくれました。そして喘ぎながらもこう答えられたのです。

「いいえ、お陰さまでどっこも痛にゃあ」

 長男さんと嫁さんが憤慨します。

「ばあちゃん、さっきまであんなに痛い痛いと言っとっただろうが。ちゃんと診てもらわんと俺らが困るで」

 十分量の麻薬性鎮痛剤は既に投与してあります。婆さんが痛がってるときにはどうしてましたかと、嫁さんに訊ねてみました。嫁さんが答えました。

「わたしらにはもうどうしようもにゃあで先生を呼んだんです」

 筍は言いました。

「どうもふくさんは痛いからあんたらを呼ぶんじゃないようだね」

すると長男さんが申し訳なさそうに言います。

「確かに傍にいて手を撫でたり足を摩ったりしているときはあんまり痛そうじゃねえ。最近疲れてきてあんまり触ってやらなかったんです」

 疲れが溜まってへとへとの長男さんは、おふくさんのベッドに背を向けて、婆さんには孫の手を握らせ、それを揺らしていたのだそうです。お疲れだとは思いますが、もう少し頑張って看てあげてと言いおいて帰りました。

 それから2週間後のことでした。穏やかな死でした。少し笑って居られるような良い顔をしておいででした。あの後は、余り痛みを訴えることもなかったそうです。

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