第三十二話:「お母さん大好き、おかあさんありがと 第十章」

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『スズメウリ』

 

五月二十七日、一日中唄っている。身振り手振りで節をつけて、いろいろな歌やら詩吟やらを唄っている。時々友達の名前も出てきて、楽しい夢を見てる様子。点滴もなく、口から水分も殆ど入らない。意識が朦朧としているので痛みとか苦しみを訴えないないことだけがまだ救い。手と足の指にチアノーゼが出ている。このまま、夫の命の灯火が消えていくのを黙って見守っていくのが、私たち家族の最後の愛だと思って頑張らねば。

 五月二十八日、朝方、父がお酒を呑みたいと呟いた。母がお酒飲むって訊くとうんうんと頷いた。急いでお酒を持って、脱脂綿に含ませて口の中に入れてあげると、美味しいといって二、三回呑んだ。その日の午後、熱が急に高くなった。先生に解熱剤を持ってきて頂いた。下がらないようならまた入れて下さいということだったが、熱は一向に下がらない。額にタオルを載せて、脇腹にタオルで包んだアイスノンを置いた。姉に電話して家に急ぎ来るよう伝えた。お姉ちゃんもじき帰ってくるから、もうちょっとがんばってね。父はわかっているのかどうか、小さく頷いてくれた。時間が経っても熱が全然下がらないので、もう一度座薬を入れてみることにした。でもなかなか座薬が入らず父が叫んだ。

「痛い」

もうこれ以上、何もしないで欲しいと父が云っているのだと思い、もう座薬は入れなかった。私たちがいま出来ることは、父の最後の時をみんなで見守ることだけだと思った。いよいよその時が近づいてきているということがなんとなくわかった。

 藪先生がいつも言われてた。

「もしものことがあっても心配しなくていいから、慌てないでお父さんにずっとついていてあげるようにね。手を摩ったり足を撫でてあげるんだよ」

みんなでそうした。お父さんといま確かに繋がっていると思えた。

 五月二十九日、タオルを頻繁に取り替えても、熱は少しも下がらない。夜十一時頃、多量のおしっこをする。お襁褓を取り替えてから三人で交代で眠ることにする。二時頃、目が覚めると博子がベッドの側で眠っている。主人はまるで人工呼吸をしているような規則正しい息をしている。博子と代わって半時間もしないうちに、何となくさっきまでと様子が違うので急いで子供たちを起こす。そのうちだんだんと呼吸が弱くなってきた。おとうさん、お父さんと、三人で必至になって大声で呼びかけたけれど、目を開けることはもうなかった。ゆっくりと長い息を二回吸って、そのまま息を引き取った。午前三時二十二分だった。私と二人の愛娘に見守られて、最愛の夫は五十一歳の若さで両親の待つ天国に独り旅立ってしまった。

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