第三十六話:『何処へでも注射を』

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IMG_1908.JPG            『柘榴』

 源二郎爺さんは若い頃は強面のおまわりさんでした。細身長身でなかなかの美男、その昔はさぞやもてたことだろうと思います。今年でもう96歳ですが、比較的お元気なほうです。閉塞性動脈硬化症を患い、歩行困難が進行し、寝たきり状態となりました。廃用症候群という病名もついています。脳血管性認知症もゆっくりではありますが着実に進行し、“まだら惚け状態”ですが、正気の時のディベートではなかなかの難敵です。

 筍がお伺いしたときには決まって、爺さん堰を切ったかのように話し始めます。入れ歯が合わなくなっているので、空気が漏れてかなり聞き取り辛いのですが、ざっとまあ、こんな趣旨です。

「儂みたいなヨボヨボの九十六迄老いさらばえた爺をいったいあんたはいつまで生かしておこうとするんじゃ。お国のために役に立つようなことはひとつもやれんくなって、ただただ日がな一日中寝てくって糞してるだけ。こう云うのを穀潰しと云うんじゃ。早いとこ何処でもええから注射でも何でもして始末してくれ。初めてあったとき先生云ったじゃろ、死ぬるときには死ぬるがよいと」

別に筍は一休さんではありません。でも筍も心底そう思っております。でもねえ、かといって殺すわけにはいかないよねえ・・・。

 今は嫁いだ娘さん、とはいえ既に十二分のお婆さんですが、彼女が引き取って、庭に専用のワンルームマンションとでも云うべき小部屋を新築して、そこで面倒を見ております。婿さん爺さんも協力的です。ですがね、源二郎爺さんは初めにも云いましたように、若い頃からのなかなかの論客です。一旦言い出したら誰が何と云おうが聞き入れません。爺さんには爺さん独特の屁理屈があるのです。ですから、上手くいかんのです、お互いに。身体が動かなくなっても、爺さんが永年暮らしたもとの住まいに帰りたくて仕方無いのです。住まいといってもトタン葺きの小屋です。トタンが錆び付いて腐り落ち、いたるところからすきま風が吹き込む、とてもひとが住めるような小屋ではありません。でも爺さんにとっては懐かしの我が家です。そこで死にたいのです。筍の顔を見るたびにせがむのです。

「彼処で死なせてやるというたじゃろ。何とか彼処に連れてってくれ。あそこで死なせてくれ」

 婆さん娘が手術を受けることになって、嫌がる爺さんをようようのことで説得し、一度介護施設へ入所させたことがありました。帰ってきた爺さんが云いました。

「儂らみたいなこんな汚い爺いをよおけの若い女性がそりゃあ優しく面倒見てくれる。御飯は食べさしてくれるし、一緒に遊んでもくれる。風呂まで入れてチンチンの裏まで洗ってくれる。まあ何とも有り難いやら、勿体無いやら。でもなあ、ありゃあ、現代版の姥捨て山じゃ。わしゃ、二度と行かんで」

すかさず筍は云いました。

「でもなあ爺さん、娘さんもあんたの面倒ばっか見てると疲れるで、たまにゃ息抜きさせんと。この前行ってきたショートステイって名前の別荘を使ってやると娘も喜ぶで」

そんな生半可な説得に動じるような爺さんではありません。

「儂らみたいな穀潰しに大事なくおくにの金を無駄遣いさせんでもええんじゃ。若い子らにあんな穢い仕事させちゃあかんのじゃ。他にもっとお国のためになるよな仕事があるじゃろに。年寄りなんぞ面倒見たって何の役にも立ちゃせんで」

でもさ、爺さん。若いときにゃ、あんたらも一生懸命お国の為に頑張って働いてきたんだろ。年取ったときくらい若いもんの云うこと聞くもんだ。

でもこんな理屈は爺さんには通用しません。

「あんたも医者ならなんとかしてくれや。こんな年寄りを寝たきりのまま放っといて、治すこともようせん、死なすことも出来んなんて殺生じゃ。今日は注射持ってないんか」

 「判った、今度来るときにゃ必ず注射を持ってくるで」と嘘をついて筍は這々の体で退散です。両手で顔を覆って泣いてる爺さんを放っといて、筍は一目散に逃げるのです。

 どうしたらいいんだろ・・・。なにをどうなすべきや・・・。

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