第三十七話:『はよいかんと、はよ死なんと』

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 源二郎爺さんの次の往診先はさだゑ婆さんのお宅です。さだゑさんは早くに御主人を亡くされ、女手一つで旅館を経営するかたわら三人の子供を育て上げられたしっかり者です。今年九十三歳になります。九十二歳になった時、トイレに行こうとして転倒し、大腿骨の付け根の骨が折れて寝たきりとなりました。丁度肺炎も併発しておりましたので、ご家族と相談の上、自宅療養でいこうとなったのです。ところが明治と大正の境目に生まれた女性は強いのです。肺炎を克服し、大腿骨頸部骨折も落ち着き、歩くことは出来ませんが、躄ることは出来るようになったのです。婆さんはもう一年以上も座敷のど真ん中で寝て、糞して、食べてます。時々はショートステイを利用し、週一回の入浴サービスも受け、気分が良ければデイサービスにも通います。

 筍は挨拶もそこそこに座敷へと上がり込みます。

「さだゑさん、今日も元気そうだね。ようけ食べて、ようけ寝てるかい」

さだゑさんはすぐさま返事します。

「元気過ぎて困っとるんじゃ。何でも美味しゅう食べれるし、食べりゃ出るもんもでるしな」

萎びたおっぱいを聴診器で持ち上げるようにして心臓のチェック、まだ動いています。次いで両脇腹から肺尖部まで呼吸音のチェック、息もしてます。次いで両下腿と足背の浮腫みのチェック、型通りに診察を続けます。

「この調子では当分心臓は止まらんなあ」

「そうかえ、はやいとこいかんと若いもんが苦労するでな」

若夫婦といってもこちらも立派な爺さんと婆さん。お二人揃って診察を見守っておられます。

「何ぞ、心配事や困ったことはないのかい」

「早よいけんことだけじゃ。だいたいきょうびはみんな生き過ぎじゃわな。早よ逝ったらんと後がつかえるで」

若かりし頃の頭の冴えが彷彿とされます。

ご長男爺さんがそこで一言。

「まるでひとごとのように云っとるのお。この分では儂らのほうが先に逝かねばならんかもしれんのなあ」

 このところ、夜毎、さだゑさんは元気です。ことさら元気です。皆が寝静まる頃から両の眼が光り輝き出します。いろんな虫や動物が天井を這いずり回り、とっくの昔に亡くなったひとや遠く離れて住む親戚などが訪れるのです。その度毎に年取った若夫婦は起こされるのです。肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまいます。さだゑ婆さんは明け方近くまで騒いだあと熟睡です。夜間譫妄の薬の使い方はなかなか難しいです。筍はやはり竹の子のまま、薮にもなれません。

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