第二百十五話:『共感こそが医の原点』

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医者など居なくとも治る病気は数多い、いえ、殆どの病気がそうなのでしょう。逆に、医者が居たからこそ治るものも治らない、そんなことさえままあるように思います。患者さんが自分で治したにも拘らず、「俺が居たからこそ治ったんだ」などと錯覚する医療人がどれほど多いことか。概して大病院の偉い先生ほどそんな傾向が強いようにも思えます。

 

「我は医者なり」、「私こそ看護師」、「おいらはコ・メディカル」なんて胸張ってる輩に限って、患者さんとその家族に共感できないことが多いよね。悲しいけれど、医療者としてのセンスの一欠片さえ持ち合わせていない輩がいるのも事実だよね。その挙げ句、患者さんと家族の戸惑いや苦しみをよそに、高みから平然とものを云う、全て事務的に片付ける、所詮すべては他人事、つまるところ、傲慢かつ独善なのでしょうね。

 

昔から謂われているように、私たちは生まれると同時に死に向かっているのですよね。絶えず死に向かっているからこそ、ときに病いに罹り、ときに死の淵に喘ぐのでしょう。実にこの点において、病者は我々の先きを行くもの、先達であり師匠なのです。医療者にとって病者は教えを受けるべき師匠なのです。患者さんから教えてもらうべきことは実に沢山あるのです。患者さんの云うところに謙虚に耳を傾け、その立場を尊重する。

 

患者さんとご家族の想いに共感できること、これこそが先きを行くひとたちへの礼儀です。「共感」こそが医の原点、共感できるしなやかさを忘れないように。

 

 

2 thoughts on “第二百十五話:『共感こそが医の原点』

  • 傾聴という言葉を看護学生の時代からよく使います。聞くことはできても聴くことができず、共感という礼儀もままならない病院の現場があり、自分自身もその場に浸っています。
    「言葉がけ」「患者の気持ち寄り添う」「自立支援」・・・
    カルテに書くと、さも行った気分になる・・自己満足ですね。
    笑いながら泣きながら先生のブログ読んでます。
    しなやかさを忘れない看護師でありたいです。

    • つまらぬ駄文を読んでいただきどうもありがとう。「しなやかさを忘れない看護師」、いいですね!陰ながら応援します。頑張れ!

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