第百二十五話:『大酒飲みのとんがらし医者 後記』

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平井川地区の集落のはずれ、山のすぐ麓にその「庵寺」はありました。ちょうど初夏の好天に恵まれ、墓所を訊ね歩いていると少々汗ばむほどの陽気でした。

少し高台にあるその庵寺の猫の額ほどの境内からは谷筋の疎らな集落が見渡せます。背後の山では不如帰が盛んに「てっぺんかけたか、とっきょきょかきょく」と鳴いておりました。

庵寺とは良く言ったもので、まさに小さな庵といった素朴な本堂には瀧文貞居士百五十回忌と百七十回忌の写真が掲げられていました。村の衆一同、晴れやかな若々しい笑顔を見せて写っております。

そのうちの数名はすぐに筍にも解りました。今ではすっかり年老いては居られますが筍診療所に通う患者さん達です。

その本堂のすぐ左隣に瀧文貞の墓石が朱塗りの社の中に飾られ、社の軒には鈴と鈴緒が掛けられておりました。

文貞居士は今やもう仏ではなく神様になられたようです。墓石の前には三つのコップに酒がなみなみと注がれ、すぐその脇にはとんがらしと、何故だか解りませんがオクラの一パックが供えてありました。

筍も持参した自作の織部のぐい呑みをお供えし、無濾過純米大吟醸の生酒を八分ほども注ぎ入れ、掌を合わせて参りました。

勿論、酒のあてに筍自家栽培の鷹の爪を五つほども併せてお供えして参りました。あることないことをこれから書き散らすお詫びと、先輩同業者に対する敬意を込めて、墓前に額ずいて参ったのです。

紀南地域は何分都から遠く離れた鄙のこととて、往時もかなり広い地域より患者たちが文貞の評判を聞き付けて押し掛けたことと推察致します。

忙しくて酒もそうそう飲んでは居られなかったと思うのですが果たしてどうだったのでしょうか。

瀧文貞の御最後は焼身自殺であったとする説や酔いのうちに失火したとする説など、今となってはもはや定かではありません。

自殺であったとすれば物語が余りに暗きものとなりますので、その説は採りませんでした。此処に掲載した筋書きは殆ど全てが筍の戯作です。

文貞居士に予めお詫びも致しておきましたので、きっと泉下で笑ってお許し下さっていることと勝手な解釈をしておきます。

僻地医療の先鞭をきられた文貞居士に敬意を表します。

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