第百五十二話:『可意』

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「可意」    良寛

無欲一切足   欲無ければ一切足り

有求萬事窮   求むるあれば万事窮す

淡采可潦餞   淡采餞を潦す可く

衲衣聊纏躬   衲衣聊躬に纏う

獨往伴麋鹿   独り往いて麋鹿を伴とし

高歌和村童   高歌して村童に和す

洗耳巌下水   耳を洗う巌下の水

可意嶺上松   意に可なり嶺上の松

 

無欲であれば全てが充ち足り何の不足を感じることもないが、反対に一つのことに囚われれば、次から次に欲を生じ、結局のところ万事が窮する。僅かな野菜さえあれば飢えを凌ぐことはできる。粗末な衣を纏うだけで生きてゆける。独り暮らしを鹿を伴として、ときには村の子供たちと声高らかに謳う。巌下に流れる清らかな水、そのせせらぎを聴けば、俗事に穢れた耳を洗われるような心地がする。嶺上の松はとても良い眺めで、松籟も我が心を和ませる。これこそ我が意にかなった生き方。

良寛、江戸時代末期の僧侶。俗名を山本栄蔵。号を大愚と称す。越後出雲崎の生まれ。家は名主と神職を兼ね、父は以南と号して、越後の俳壇の第一人者とか。二十二歳で備中玉島で国仙和尚について学び、後に諸国を行脚し、帰国して西蒲原郡国上山の五合庵に学んだ。

その五合庵で泥棒に入られたときの句

「盗人に 取り残されし 窓の月」

五十九歳で山麓の乙子神社の庵に移った。この風情、素晴らしいとは思われませんか。

「炊くほどは 風の持て来る 落葉かな」

七十歳で二十九歳の貞信尼と恋歌を交わし、七十四歳で貞信尼に看取られつつ没す。貞信尼と交わした恋歌は「蓮の露」と題す。このこともまた何とも云えず。なにをか云わん。

絶句

「うらを見せ 表を見せて 散るもみじ」

 

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