第百五十九話: 『臨終の場から閉め出される国』

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九十三歳になるお母上を看取るべく、三ヶ月間に亘り、兄弟姉妹四人が交代で二十四時間付き添った。いよいよという最後の晩、親戚一同が集まってお母上を見守っていた。そのうち、お襁褓を替える必要が生じたので看護婦さんにお願いした。やってきたのは一時間も経ったあと。少しでも傍らにいたかったのでお願いしたけれど、規則だからと全員病室外へ出された。ナースステーションの心電図モニターを眺めていたら、急激に心拍数が低下した。慌てて入室をお願いしたが断られた。結局、誰一人お母上の御最期に立ち会えなかった。「ずっと付いていたのに何で」と看護師に詰め寄ると、返ってきた言葉は「もう心臓止まってますから」だったと。お襁褓を替えていても容態が急変したら、医師を呼び、親族を呼ぶのが当然だろう。患者とその家族の気持ちに添うのが本当の看護ではないか。「ありがとう」と最後にお母上に伝えられなかったことが、今でも残念でならない。

とまあこんな趣旨の投書が某新聞に載っておりました。読んで愕然とするやら腹が立つやら。同じ医療の現場に働くものとして、情けなく、恥ずかしく、また許し難いことです。いかに忙しい業務の中とはいえ、ひとの生と死に対する根源的な感性さえもなくした浅ましき情景です。ご家族に対する思いやりの欠片もないこの仕打ち、ひととして当然保持すべき「思い遣りの心」や「共感する心」が麻痺しているのです。今時、まだこんな病院があろうとは・・・。全く信じられぬことです。

昔はね、確かに医療現場にはそれに近い状態が溢れていたよね。筍の勤務していた大学でも、末期癌患者さんのいよいよご臨終のその瞬間に、ご家族の方々は病室の外へ遠慮願って、除細動器をかけるは、心腔内注射をするは、心臓マッサージをするはで、病院での御最後は決して静かなものではありませんでした。もはや癌が制御不能となった末期の患者さんに対してすらそうでした。当時から私にはそれが如何にも無駄な、無意味なことに思えてなりませんでした。ある時期からそんな最後の最後に無駄な延命努力、見せかけの処置は止めようと決意しました。医局の後輩の外科医たちにもそうするよう提案致しました。

最愛の身内の最後のその時を皆で静かに見守っている。私にはそんな臨終場面が望ましく、人間本来のあるべき姿に思えて仕方ありません。病気が制御できぬ事態となれば、閑科に残された時間を自宅で家族と共に過す。それが良いのではないでしょうか。「最後の時を迎えるのは病院」という非常識が常識に変わって以来、日本人は死を学ぶ場を失っております。死の実態を知らぬものは生命に対する畏敬を感じません。今お世の中のいろいろな凄惨な事件の背景も、実はひとがひとの死の実態を知らぬことに源を発すると、私には思えてなりません。自宅で逍遥とその刻を待ち、残される家族に我が死の有様を見せてやる。これが最後の教育。筍の理想でもあります。私は病院で死にたくはありません。

信頼できる「かかりつけ医」を持つべきです。かかりつけ医さえあれば、死のその刻に、かかりつけ医がいる必要も無いのです。臨終後二十四時間以内に死亡診断書を書いてもらえば済むのです。それで何の問題もありません。死体検案も司法解剖も不要です。ご家族だけで静かに御最期を看取ってあげる。どんな年端もいかぬ児にもきちんと死の有様を見せておくことが大事です。死の教育をきっちりと受けた児は決して生を蔑ろにはせぬはずです。いかに幼き子供でもその場面に居合わせればちゃんと死を受け止められるのです。死ぬべき場所は病院ではありません。自宅こそがその最適な場所なのです。そうは考えられませんか。

 

 

2 thoughts on “第百五十九話: 『臨終の場から閉め出される国』

    • もっと日本人は自立しなければなりません。
      自らの人生の終焉くらいは自立した時間が持ちたいものですよね。
      家で死ぬことが極々普通の国になるように少しでも寄与したいものです。

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