第二百三十四話:『個=弧に生きよう』

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幾人もの死に逝くひとたちの横にいて、それぞれのひとたちの生き様、死に様を観察する機会に恵まれたこと、そんな貴重な、でも深刻な思慮を強いられる医師という職業に就いたことを、私はいま後悔していない。いや誇りにさえ感じられる。

 

決してやり直すことのできぬ一度きりの人生で、生きることと死ぬことの本質を見極めることは、誰にとっても容易いことではない。

 

百姓として、土を耕し、種を蒔き、雑草を毟ることに、その人生の大半を費やした老婆が死を迎えるに際して、見事に諦観し、従容と死を受け入れる情景に息を呑んだことがある。

 

長年、大学病院の教授職にあったひとが、末期癌を患うも、死ぬまでその事実を受け入れられず、周りの誰彼無しに罵り、当たり散らすのも見たことがある。

 

ひとは独りで生まれきて、独りで死んでいく。しかし、独りでは決して生きられぬ。だが他に依存したままでは、生を全うできぬし、死を受容できぬようだ。

 

漢字林によれば、個とは全体に対してのひとつ・ひとり、独立性の高いひとを意味し、弧とはみなしご、ひとりもの、よるべなきもの、という意味だという。個の独立を成し遂げ、孤に生きることに慣れなければ、生を全うすることなど、とてもできはしないのではないか。

 

ひとは独りでは生きられぬものではあるが、独りで生きられぬということは、他に依存することを強いるものでは決してない。独りであることを認識し、孤であることを享受することが、生きることの本質ではあるまいか。

 

昔から多くの日本人には、個という要素が決定的に不足している。不足したまま、先の敗戦を契機に、否応無しに欧米風の生活様式・社会構造を取り入れたことが、現代日本の不幸の根源となっているのではないか。

 

孤独の真価を知らず、孤立を恐れるあまり、周りに流され、主体性を忘れる。自己の権利の追求には熱心であるが、責任や義務を振り返ろうともしないものたちが多過ぎるのではないだろうか。

 

確固たる信念を持って生きるということは、孤独に生ききるということだろう。いつか、必ず、誰にも、最後の覚悟を強いられるその時がやってくる。生の尽きるその瞬間をいかに迎えればよいのか。万人に共通した答えなどはない。

 

ただただ、そのときに向かって、ひたすら個=弧に慣れ親しむこと、これが私たちに課せられた、唯一無二の命題。

 

個=弧に生きよう。

 

ーひとりの患者さんを見送った朝に記すー

 

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