第百十五話:『十八淵 後記』

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松根部落のある爺さんに「十八淵」を案内して頂きました。集落からさらに4km程も上流に遡った道路脇にその淵は実在しておりました。急な斜面を滑り落ちそうになりながら木々に掴まりながら恐る恐る淵へと向かいます。さすが子供の頃より山歩きには慣れた爺さん、その足の速いことといったら。必死でその後を追いかけ、何とかよたよたと淵へと降りました。

淵はもうすっかり埋もれておりました。僅かに淵を取り囲むように切り立った岩壁が昔日の淵の様子を想像させるのみです。なんでも山のさらに奥手で「スーパー林道」とか称する誰一人通るはずも無い、全く馬鹿げた道路を建設中とか中断したままとか。道を拓く時に出る土砂を容赦なく谷へ投げ捨てるものですから、多くの淵が埋もれてしまったと言います。何を考えての道路でしょうか。この国はいったいいつまでこんな馬鹿げたことを続けるのでしょうか。

爺さんが淵の畔でいろいろな話をしてくれました。

「昔はコサメ(天魚)がたもで掬えるほども泳いどったが、杉檜の植林で川はすっかり痩せてしもた。あれほど杉じゃ檜じゃと云うとったんじゃが、今では木材不況で何ともならん。あんな気違いじみた植林運動を主導したお役人は今頃この山の惨憺たる現状をどないに思うとるんじゃろ。昔は二抱えほどもあるそりゃあ立派なブナや椎の大木ばっかじゃったのに、みんな枯らしてしもて、山のてっぺんまで杉と檜じゃ。山は痩せ細ってしもたんじゃ。ダムの建設もそうじゃ。ええときゃあ、ダム工事の時だけじゃった。日銭稼ぐだけじゃったけどのう。結局は若い衆はみんな街に吸い取られてしもて、今じゃ年寄りばっかの寂しい村じゃ。ダムものう、魚道も何も作っとらんものだから、昔あれほど獲れた川海老やズガニ、鰻も鮎も、何も居らんくなってしもうた。海と繋がりが断ち切られた川など清流なんぞと呼べるもんか。この淵もなあ、昔は深おてなあ、おとろしいほどじゃったんじゃ。親からは『十八淵へは行ったらあかん。ガイタロウ(河童)に引きずり込まれるで』とよう言われたもんじゃ。ダンゴクも仏の小魚もみんな絶滅してしもた。人間はほんに碌なことしやせんのう。目先のぼっきんこ(小銭)や地位や肩書きやに目え眩まされて血眼になっちょる。情けねえもんだ」

十八淵の畔にはいろいろな嘆きがありました。

 

十八淵の奥底で今でもあの玉が虹色に光り輝いていることを念じつつ、薮うつぎの赤い花が咲く山道を爺様と二人帰ったのです。

 

 

2 thoughts on “第百十五話:『十八淵 後記』

  • 筍先生の真骨頂が読みとれます。胸の空く思いです。
    自然の恵みに感謝しながら、なかや(屋号)亭を築っています。自身の価値観です。

    •  完成したあかつきには是非お訪ねしたいものです。
      風雅な別邸でしょうねえ。そこで月でも見ながら、酒でも酌み交わしたいものですね。
      行ける機会があると良いのだけれど・・・。

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