第百十七話:『植魚の滝 その弐』

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海のもんなど今まで喰うたこともなかった太郎にはどれもこれもがわえくちゃ旨かったんじゃと。なかでものう、穫れたての魚のお造りの美味いことといったら、顎落ちるんじゃなかろかと心配になるほどじゃったげな。

「おいやん、この魚の料理はどがい名じゃ。どうやって作るんな。これほど旨えもん、うら喰うたことねえ。おっとうにも喰わしてやりてえのう」

太郎の食べる様子を穴の開くほど見つめておった洟垂れわっぱがこう云うた。

「そりゃ造ったんじゃ。お造りっちゅうんじゃ。まったく刺身も知らんのけ。山育ちにや旨いんかいのう。毎日、毎日、こがいなもんばっか喰うてみろや。おらにはまむない(不味い)もんじゃがのう」

「じゃかあしわい、贅沢ほざいとるとわれにゃ明日から飯喰わさんぞい」

そうか、こん旨いもんはお造りというもんなのか。こがいな旨いもんが作れるんじゃのう。帰ったら早速作らにゃなるまいのう、おっとうもおととの次郎も目え丸うして驚くじゃろ。涎食ろうて顎落とすぞい。太郎はお造りのことが頭から離れぬようじゃった。

翌朝のことじゃあ、もう一番鶏がとっくに鳴いて、二番鶏、三番鶏も啼き終えた頃、納屋で疲れて寝こけとった太郎に漁師が声掛けた。

「おはようさん、もう起きんと目え潰れるで。今朝の漁は大漁じゃったで。どんだけでもせたらえるだけ持ってけや」

「おいやん、うちら山家暮らしのことじゃけえ、お金もねえ。親切に泊めてもろうて馳走までよばれても、何もお礼するもんがねえ。ごんぱちと蕨(わらび)と薇(ぜんまい)の干したもんを持ってきたが、こがいなもんでも受け取ってくれるかのう」

「こりゃまたぎょうさんの土産じゃのう。珍しいもんをおおきによう。そいじゃまあ遠慮のう貰うておくけえ」

山の幸と海の幸を交換したんじゃと。穫れたての鯵や鯖やら鯛やいさきを背負い篭に仰山詰めてもろて、にんにこ(お握り)三個も腰につらくっての、太郎はおっとうと次郎の待つ大塔山へと急いで帰ったんじゃと。

持ち帰った魚は煮付けや塩焼きにして喰わしたげな。おっとうはそりゃあ喜んで喰うたげな。おととの次郎も大喜びで食べたんじゃと。そいから数日後のことじゃあ、いおの力かどうか、おっとうの病状も一段落しての、太郎は久し振りに野良仕事じゃ。

滝の脇の鮎の食み痕ほどの狭い畠にのう、大事にとってあった食べ終えた魚の頭と骨と尻尾をのう、鍬を振り下ろし鋤を奮ってのう、尻尾を下に魚の頭の先をちっと地面から出すようにして、一匹一匹、丁寧に丁寧に、植えていったんじゃと。

あれほど美味えもんが作れるんなら、こりゃあ作らぬ法はねえとな。おっとうと次郎にもあげなうめえもん喰わしてやりてえの一心じゃ。

毎日、毎日、滝の水を汲んでの、お造りが芽え出すのを、刺身が生えてくるのを待っとったんじゃとよ。お刺身なんぞ喰うたこともない山育ちじゃもん、造りと言われたらのう、畑で作ったんかと思うはのう。

太郎も、次郎も、寝たきりのおっとうものう、いくんちもいくんちも、魚が芽え出すのを待っとったげな。幾晩も幾晩も夢に見たげな。早うあんお造りが生えてこんことかとなあ。でものう、お造りはなかなか芽え出さんかったげな。お刺身はちっとも生えて来んのじゃ。

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