第百二十三話:『大酒飲みのとんがらし医者 その壱』

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やらせ(北風)の吹き荒ぶ寒い寒い日のことじゃった。木の國平井川の里へ垢まみれのぼろぼろの衣を身に纏うた独りの男がやってきたと。髪はぼさぼさ、髭はぼうぼう、てんてらてんに黒光りした布袋竹の杖をつき、首には何が入っとんじゃろか、重そな頭陀袋を下げておったげな。

いつもは悪戯ばっかでおかしゃんに怒られっぱなしの里の洟垂れわっぱどもも、その男を見た途端、みんなおとろして家へと逃げ散ったげな。 「にいやん、にいやん、どえらいおとろしおっさんがこっちゃ向いてやってくっど、なっとしょう」

「じゃかあし、そうひしるな。そんなおっさん、ほらくっとけ。家にきたらはったかすよってに」

ほどなく、兄弟が息を潜めて震えとったその家の戸口の前に男が立った。

「もうし、誰ぞ居らんかの。旅のもんじゃが、今宵一晩、軒先でも借してはくれんかのう。こん寒さで難渋しておるのじゃ」

身なりに似合わぬ、思いの外、丁寧な言葉使いじゃったげな。にいやんが気丈にも答えた。

「おいやん、どっからきたんな。すぐ裏の畑でおとさんとおかさんおるで、いんでくるで待っとって」

兄弟は飛ぶように畠に走ったげな。

「へえ、これはこれは。おまん、どっからきたんな、こいからどっちいくんな」

とまあ父親もおっかなびっくりじゃったと。

「いやあ、あてものう諸国をぶらついとるんじゃ。こう見えても儂は医者での、今晩一晩泊めてくれたら、お礼にむらの病人診てしんぜるがどうかの。それともこの里には医者はもう居るんかの」

「おまんが医者ってかあ。うっとい(頭がおかしい)のう。そげなあらくたい(めちゃくちゃな)話があるもんか。まあええ、この寒空で寝るのもかだらにようないで.今晩一晩だけなら泊まってけ」

こうして男は一晩の宿を借り、翌日の朝。

「もしも病人が居る様なら御礼に診てしんぜようほどに。急いで村の衆に伝えてきなされ。そうさな、そこの物置でも借りて診察するかの」

昔から、医者など勿論,薬も無いよな村じゃった。病気の時はあがらで山野の草木を煎じて飲んどったのじゃ。数刻も経たぬうち村中が空になるほどおおぜの衆が集ったと。

一番はお蝶婆さん。もう何年も足萎えで寝たきりじゃったが、倅が戸板に乗せて連れてきた。男はひとしきり婆さんの皺だらけの足や腰を擦ったり揉んだりしておったが、やがて汚ねえ頭陀袋から薬研を取り出し、幾種類かの薬を調合し始めたんじゃ。

できた薬を鼻糞ほどの大きさに一粒丸め、婆さんの口に投げ込んだ。するとどうじゃろ、婆さんの足と腰がみるみるいごき出した。そして、戸板を担いですたすたと歩いて家に帰ったんじゃと。

さあ、それからというものは、物置診療所はのう、近郷近在だけではのうて、どえらいとわいとこからも、来るは来るはの大賑わい。瘧(おこり;今でいうマラリア)、あおたん(打身の青痣)、疝気に中気、しゃっしゃにぴっぴ、こぶらがえりやめばちこまでも、なんでもかでも治したんじゃと。

「せんせ、どうぞいつまでもこの里で皆の衆を看ちゃってくれろ。どっこも行かんと此処でずっとこせおっちゃって。せんせ、いんだらほとくない(心細い)」

村人総出で引き止めたんじゃと。

「そうか、それならひとつ条件じゃ。診察代の払えぬご仁はどぶろくちっとととんがらし一握りを持って来い。さすればちゃんと診てしんぜる」

その医者の名は瀧文貞、風の噂に訊ねてみれば、なんでも伊予宇和島藩の御典医だったと。三度の飯より酒好きで、おまけに酒癖やにこう(非常に)悪い。伊予の殿さん怒ってしもて、御典医馘首になったんじゃとか。

 

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