第五十二話:『やすべえ』

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浜茄子の実

 心が疲れてくると思い出す居酒屋があります。以前勤めておりました病院の近くです。その名も“やすべえ”。カウンターだけの小さな小さな一杯飲み屋です。七、八人も入ればもう座る席はありません。ですがそこには広い世間がきっちりと存在しております。

「飲み屋の扉を開けた途端、社会的な肩書だとか、財産の多寡だとか、そんなものは何も評価されないし、またしやしない。全て無と為す。ただ、素のままの男たちが居るだけ。みんな単なる呑んべ。試されるのは人間性そのもの。そんな呑み屋が最上の飲み屋」

 筍が敬愛するある先輩外科医が云われた言葉です。“やすべえ”はまさにそんな呑み屋です。銀座や北新地や錦で呑んでも面白くないのはこれでしょうね。社会の階層そのままにいくら酒を酌んでも、自らの精神がのびのびする筈がないものね。

 お店の切り盛りは女将独りです。女将の眼鏡に適わなければもう二度目はないのです。土建屋のおっさん、果物作り名人のお百姓さん、鉄工所の大将、老舗料理屋の大旦那、髪結いの亭主、ご近所の開業医、ごくごく普通のサラリーマン、地元新聞の記者、八百屋の元締め、役場をリタイヤした哲学者、果ては国会議員の先生様まで、実に様々な人種が屯する隠れ家です。暖簾を潜れば、みんな、ただの気のいいおっさんばかり。

 そんなおっさんたちが集まって“やすべえ会”が立ち上がっております。全山桜で埋め尽くすとて、無住の山寺に毎年桜の植樹を繰り返し、春ともなれば本堂の大広間で花見の宴と落語の会。秋ともなれば有志が一年かけて集めた文房具をネパールの子供達へ届ける慈善事業。そう、このことについてもなかなか含蓄のある言葉を一人のおっさんが話してくれました。

「何もネパールの子供達の為になんて力瘤を入れているんじゃない。ただただ自分たちが気持ち良くなる為にやっているんだ。ネパールの大気、降るような星々、子供達の純真な笑顔、全て昔の日本にもあったものばかり。けどいまではもうどこにもない。気持ちいいんだよな、ネパールは。とってもさあ。自分たちの為にやってんだよ。ボランティアってそんなもんでしょ」

 暮れにはみんなでやすべえの隣の猫の額ほどの空き地で餅つきをかねた忘年会。多彩な活動です。

 もう何年も前のことです。女将が腰を痛めて入院した為、“やすべえ”は休業のやむなしとなりました。ですが男どもは健気でした。ただひたすらに女将の快癒を祈り続けたのです。他の店に浮気するものや鞍替えするような不埒ものは、誰ひとり出なかったそうです。“やすべえ”のカウンターに腰を落ち着けて酒を酌む。ここに意味があるのです。皆の功徳の賜物でしょうか。女将は三ヶ月ほどで何とか復帰されました。“やすべえ”はまた元の如くの梁山泊です。

 数年前にそんな“やすべえ”を訪ねたことがありました。暮れも押し迫った晦日前夜のことでした。例年の如く、やすべえ会の面々が打ち揃い、餅搗きの真っ最中でした。賑やかでした。会員諸氏が持ち寄った山海の珍味でカウンターは満艦飾。横の空き地で餅を搗く親父連、おでんの調整に大忙しの大叔母連、特製うどんの仕込みに忙しい若旦那、焼き牡蠣係のお兄さん、つきたての餅に大根おろしや小豆餡やきな粉をつける若妻連。かれこれ総勢三十名余りも集っておられたでしょうか。皆懐かしき面々ばかりでした。

「ちょっと太った、ちょっと禿げた、ちょっと老けた」など、碌なことは云われませんでしたが、筍はただニコニコとして、カウンターでゆったりと酒を舐めておりました。嬉しかった、懐かしかった、心地良かった。

 いいもんです“やすべえ”、またいつかいきたいなあ。

One thought on “第五十二話:『やすべえ』”

  • 行きたいと思える場所があるひとが羨ましい。

    でもどんなものでもいつかは無くなるから、そういう拠り所をつくるのに抵抗を感じる。

    そんな方々も多いのではと思います。

    既にあるものは大切にしたいもんですね

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