第六十二話:『わが父のこと その六』

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「お父さん、こんな状態でいつまで放っとかれるの。人工呼吸なんて意味ないんじゃないの。人工呼吸をしていれば白血病が治るとでも云うの」

筍も全く同感でした。こんな形で生かされていることが父にとって何の意味があるのか。これこそ無駄な医療の典型ではないかと。

「母さん、先生に頼んで来ようか。もう人工呼吸器を外してくれって。かあさんはそれでいいの」

「そうして、お願いだから。こんな惨めな姿のお父さんなんて、母さん辛くてとても見てはいられないもの」

すぐに看護婦詰め所へ行き、先生に連絡を頼みました。間もなく主治医の先生が駆けつけて来られました。人工呼吸器を外して欲しいこと、その結果は家族一同全て理解していることなどを伝えました。主治医の先生が云われました。

「医者としてそういうことは出来ない。出来うる手段が少しでも残されているのであれば、最後の最後まで最善の努力を尽くすのが医者の義務だと思う」

ですが単に人工呼吸器で酸素化だけをして生き存えさせるのが最善の努力と云えるのでしょうか。父のあのような咽頭の状況を見たあとではとても・・・。血液凝固因子は既に枯渇しているのです。どれほどの輸血を繰り返せばよいのでしょうか。既に父はさんざん頑張ってきたのです。  しかも挿管に手間取ったあの数十分という時間の経過を考えれば、父の脳はもはや元に戻る可能性はないのです。徒らに人工呼吸を続けることが医師として出来る最善の努力といえるのでしょうか。

「私がいなかったばかりに大変申し訳ないことをしました。貴方がお父上に創刊されたことは当直のものから聴いて承知しております」

もはや延命治療としての人工呼吸器装着は無意味なものではないのか。なおも詰め寄りました。主治医も辛かったに違いありません。心の中に誰にも向け得ない強い怒りと深い悲しみが渦巻いておりました。

「医者としての信念からも私には出来ません。ですが貴方も医師です。そして母上の意向を受けた貴方が息子として、そして医師としても、それでいいと云われるのであれば、貴方がなされることまで止める権利は私には無いように思います。どうか呉々もよくお考えの上で結論を出して下さい」

とうとう主治医はそう答えられました。恐れていた答えでもありました。

病室に戻って今一度母に訊ねてみました。母の態度に迷いはありませんでした。

「スイッチが何処にあるかさえ教えてくれれば、お前じゃなくて私が電源を切るよ」

そんなことを母にさせたら一大事です。殺人事件として立件される可能性もあるのです。

「母さんの気持ちはよく解った。僕がちゃんとするから大丈夫だよ。任せておいて」

母の眼にも私の眼にも涙が溢れておりました。何にも考えられない時間ってあるんですね。“頭が真っ白に”とはよく云われる言葉ですが、本当にそんな状況でした。

暫くは動けませんでした。

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