第六十三話:『わが父のこと その七』

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先ず人工呼吸器の電源はそのままに、気管内挿管されたチューブの絆創膏固定を外しました。次いで暫く酸素を100%として10回程深呼吸を続けさせました。呼吸器の警報装置は予め解除しておきました。次いで気管内チューブのカフの空気を抜きました。人工呼吸器から送られる酸素がチューブと気管の隙間から漏れる音が響きます。そのまま喀痰吸引用の細径チューブで痰を吸引しながら気管支チューブを抜去したのです。祈るような気持ちでした。いや祈って居りました。

「父さん、お願いだ。どうか自発呼吸を再開してくれ。頑張って下さい。息をしておくれ」

しかし、父の呼吸はいくら待っても再開しません。静かでした。もはや父の魂はここには留まってはいないようでした。そのうち心電図の波形も変化してきました。だんだんと波形の幅が拡がり、平坦化し、次第に直線へと近づいていきます。もう心筋の収縮力は殆ど無くなりました。  「神様、どうかあと一年だけで良いのです。いや三ヶ月でもいいのです。いや三日だけでもいいんです。何とか時間を下さい。父の本当の時間を」

心の中で叫んで居りました。でも終に心電図の波形は完全な直線を描き出しました。暫くモニター上に移される虚しい青い光源の動きを見詰めておりました。

どのくらいの時間が経ったのか。よく判らないまま殆ど無意識にベッド脇にある呼び出しボタンを押して居りました。すぐに看護スタッフの皆さん、主治医の先生が駆けつけて来られました。慌ただしい動きもすぐに静まりました。対光反射を調べ、心音の聴取を試み、血圧の再確認、等々。一連の死亡確認の作業が進行していきます。

「ご臨終です」

社会的にも、法的にも父の死亡が確立した瞬間でした。もう日付が変わり八月晦日となって居りました。享年五十一歳の若さでした。

看護婦さん方による手際良い死後の処置が施される間に、廊下で主治医より病理解剖の許可を求める旨の説明がありました。ですが病理解剖を受け入れることは心情的にとても出来ぬことでした。今際の際の気管内挿管の不手際、それが心に大きな傷を残して居りました。研修医とはいえ筍も医者の端くれ、病に倒れた患者さんの正確な病態把握のためには病理解剖させて頂くことが何よりのことです。そんなことは重々承知しています。病理解剖によって正確な病態把握が出来れば、おなじ病に倒れた次の患者さんの治療の改善にどれほど大きな力を発揮することか。ですがあの時の不手際には我慢がなりませんでした。実の父親に気管内挿管をせざるを得なかった事態、しかもその後それを自らの手で抜管せざるを得なかったこと、自分がやったこととはいえ、その衝撃はとても筆舌には尽くせません。冷たくなった父と肩を落として項垂れている母と共に家に戻りました。

父の息の根を止めるような息子はそうそういやしないでしょうね。

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