第六十四話:『わが父のこと その八』

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通夜の席は賑やかでした。皆がさんざめき笑顔さえときに見られる席に居たたまれず、筍は自室へと戻りました。部屋のドアを閉めた瞬間、涙が溢れ出しました。大声を上げて泣きました。今まで然程の痛手は無いななどと、比較的冷静に自分を見据えていたつもりだったのですが・・・。暫く自室に籠って居りました。

告別式は油照りのそれは暑い日でした。たくさんの参列者でした。滞り無く式が終了し、いよいよ出棺となりました。参列者の皆様にどのようなご挨拶をしたか、今ではもう全く記憶にありません。ただ父の弟達の場違いな明るい笑い声や興奮が疎ましく感じられました。悲しみの大きさはひとそれぞれに違います。ですがまるで辺りにひとが居ぬかのごとく、声高に誰彼無く話し掛けている心ない我が叔父・叔母達。切なくも嘆かわしいことでした。遺族の心情に寄り添うことだけが告別の作法であるでしょうに。

四十九日が済んだ頃のことだったか、それまで気丈に振る舞っていた母が一度だけ取り乱したことがありました。

「父さんの息の根を止めたのはあんただ」

筍は責められました。あれほど人工呼吸器を外してくれるよう筍に懇願した母がです。でも母の気持ちも判ります。駆け出しではありましたが、医者としての立場と、父を看取る息子としての立場、この狭間で随分と心乱れました。未だに自問自答を繰り返すことが再々です。ああしたことがよかったのかどうか。非難されるべき点はないのか。非難されて当たり前ではないのか。

今の筍であれば、何の躊躇いも無く、父には全て真実を伝えたことと想います。そうすることが父の人間性の尊重であると考えるからです。当時の筍の人間としての未熟さが問題だったのですよね。父に正面切って向き合うことのしんどさから、告知という人間同士の真剣勝負の場から逃げたのです。今の私は、病名告知であれ、予後告知であれ、全てを当事者に伝えるのが原則であるべきだと確信を持って居ります。子供に対しても、大人に対しても同じです。ただひとつの例外は、患者本人がそれを望まないという場合に限ります。

あの父のことです。筍がもっと早くに事実を伝えておけば、死への準備も万全だったことでしょう。あの夜、独りで階段の踊り場に佇んでいた父のあの時間に、息子として父にまっすぐに向き合う必要があったのです。真実を伝えるべきはまさにあの瞬間であったと、いま確信して居ります。今更悔やんでも詮無いことなのですが・・・。

父は自らの死を以て、筍の医師としての鍛錬を謀ったのでしょうね。あの時のことを想起すると、そう想わざるを得ません。

ですが未だに筍はタケノコ、薮にもなれません。

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