第百六十話:『北大路魯山人 その壱』

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1883年、京都上加茂に生まれる。5歳のとき、油の工事の木版師福田家へ養子縁組。尋常小学校卒業後、10歳にして千坂和薬屋に丁稚奉公。13歳にして奉公先を飛び出し、日本画家と書家を目指す。16歳、西洋看板が評判となり収入安定、書画・古書を買い漁る。20歳にして上京、21歳のとき、日本美術展覧会書の部に「千字文」出品、一等賞受賞。24歳、東京京橋に書道教授の看板を挙げて独立。25歳、結婚、長男誕生、朝鮮京城に渡り韓国統監府印刷局に勤務、中国、朝鮮の陶器や書、篆刻を学ぶ。27歳にして東京に戻る。31歳、離婚と2度目の婚約。32歳、北大路姓に。金沢、山代にて作陶と料理に目覚める。36歳、「大雅堂芸術店」開業。37歳、店の二階に会員制料亭「美食倶楽部」、39歳、北大路魯山人と名乗る。40歳、関東大震災。41歳、京都で陶芸修行。42歳、赤坂山王台に「星岡茶寮」開業、星岡窯開設、 「第一回魯山人秀作展」開催。44歳、離婚と三度目の結婚、星岡窯に「古陶磁器参考館」を建てる。49歳、「家蔵百選」と「作陶百影」を発行。55歳、三度目の離婚と再婚、そしてまた離婚。57歳、5度目の結婚、2年後離婚、以後独身を通す。62歳、「星岡茶寮」戦災にて消失。63歳、銀座に「火土火土美房」開店。68歳、ピカソが魯山人を激褒。71歳、ロックフェラー財団の招きで渡米渡欧、各地で講演と展覧。72歳、「人間国宝」指定辞退。76歳、肝臓ジストマによる肝硬変の為、横浜で逝去。

 

書、絵画、陶芸、篆刻、料理と、多彩な芸術分野で異能を発揮した魯山人、生涯で5度の結婚をするも、59歳からは独身を通す。全く何という生き方なんでしょう。何という才能なんでしょうか。

 

 

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