第百六十一話:『北大路魯山人 その弐』

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庭の花梨膨らむ

庭の花梨膨らむ

 

「芸術は目に見えない空気、言い換えれば、感じである。形に見えざる空気の描写、空気の醸成が感じ得られて、見るものをして恍惚たらしむるものが、芸術という呼称を許されるのだ」

「いったい何によらず。味の感覚と形の美とは切っても切れない関係にある」

「芸術というのは心術だと云ったほうが解り易い。心の置きよう、感情でできたところのもの、それが芸術だと解すべきです。この“術”がつくもの、いずれの術も精神的、入神的なものに限って、常識上算盤でははじききれない作用ができるのです」

「どんな素材でもそれぞれ持ち味というものを持っている。料理はどの一つ一つの味をも生かさなければならないんや」

「何としても練習を盛んに致すこと、昔から言われるように“技、神に入る”というような技巧の練達です。はからずも自分の予想以上の実力が練習の結果生じるのであります。芸術というのは理性のみの産物ではない。それは主として精神的なものであって、そのひとの個性とか、俗にいう魂とか云うものが、その作品の中に織り込まれてくる。技術がある程度のところまでくると、技巧が自ら精神的なものになってくる」

「包丁を持って魚を切る、すると、その切った線一つで、料理が生きもするし、死にもする、気の利いたひとがやると、気の利いた線が包丁の跡に現れ、俗物がやると俗悪な線が残る」

「芸術とは計画とか作為を持たないもの、刻々に生まれ出てくるもの、言葉を換えていうなら、当意即妙の連続だ」

いいですねえ、魯山人の言葉。芯から理解などできゃしないけれど、凡人にもちっとは判るような気がする。

 

 

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