第二百四話:『広島のあの日』

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アインシュタインの特殊相対性理論の中で示された有名な数式:エネルギー質量保存則(E=mc2 エネルギーは質量x光の速さの二乗)をご存知か。原子爆弾の持つ凄まじい威力を証明する数式でもある。

質量の大きな原子核、原子過剰核、中性子過剰核といった不安定核はα崩壊やβ崩壊とといった緩やかな核崩壊以外に、核分裂と呼ばれる急激な反応により数個の別の原子と中性子に分裂し、同時に膨大なエネルギーを生み出すことが初めて確認されたのは、広島に原爆が投下される七年前のドイツにおいてだった。

ウラン原子(235U)に熱中性子を当てると、ウラン原子核が二つ以上に分裂して、多くの熱エネルギーと放射線が放出される。1gのウランが核分裂した場合に発生する熱エネルギーは、石油2000リットル、石炭3トンに相当する。またこのとき梗塞中性子が2〜3個飛び出し、他のウラン原子に当たり次々と核分裂が連鎖していく。

当時、ナチスドイツの迫害から逃れるためアメリカに亡命していたユダヤ人科学者のレオ・シラードらは、ドイツによる核分裂を利用した新型爆弾の開発先行を恐れ、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領に新型爆弾の開発研究を進言した。アルバート・アインシュタインの署名が添えられていた。

真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発の八ヶ月後、ルーズベルト大統領は原子爆弾の開発に着手する許可を下し、マンハッタン計画と呼ばれる膨大な予算措置のもと核兵器開発を始めた。開発に着手してから僅か三年で原爆は完成した。そして、この新型原子爆弾は日本に対して使用されることが決められた。1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴード実験場で、世界最初の核実験が成功し、人類は核兵器という究極の武器を手にした。すでにドイツはこの年の5月に無条件降伏していた。

 

『広島のあの日;トルーマンの決定』

1943年5月、米国は原爆投下対象に日本を想定、翌年には米英の首脳による日本への原爆の使用が合意された。米国が原爆の投下を急いだ理由は次の三点だった。

1.日本の無条件降伏を急がせ米軍の犠牲を少なくする

2.ソ連の対日参戦前に原爆を投下し、大戦後のソ連に対する優位性を確保する

3.原爆という新兵器を実戦で試すと共にその威力を検証し、膨大な費用を投じた原爆開発を国内向けに正当化する

1945年春から、米国は軍と科学者合同で原爆投下目標都市の検討を始めた。4月27日、第一回会議で目標地域の選考基準を決定、冬華目標は原爆の効果を正確に測定できるよう、直径三マイル(約4.8km)以上の市街地を持つ都市とされ、この条件を満たす都市として、東京、川崎、横浜、名古屋、大阪、京都、神戸、広島、呉、山口、下関、八幡、小倉、福岡、長崎、佐世保、熊本の十七都市が挙げられた。5月11日の第二回会議で、横浜、京都、広島、小倉の四都市に限定、5月28日、京都、広島、新潟に対し空襲の禁止が決定、原爆の被害を具(つぶさ)に検証できるようにとの思惑からだった。6月14日、広島、小倉、新潟の三都市に限定、トルーマン大統領の承認のもと、「労働者の住宅に囲まれた軍需工場」に事前の警告なしに原爆投下すべきだとの結論が出された。7月25日には8月3日以降、速やかに広島、小倉、新潟、長崎のいずれかへ原爆を投下するよう命令が下され、優先順位は広島、小倉、長崎、の順となった。目標都市の周辺地域に、パンプキンと呼ばれる原爆の模擬爆弾の投下実験が繰り返された。

8月2日付けで攻撃日は8月6日、第一目標は「広島市街地工業地域」とする命令が下された。広島は目標都市の中で唯一連合国軍の捕虜収容所がないと考えられていたこと、市街地の大きさや山に囲まれた地形が原爆の破壊力を探るのに適していたこと、広島は空襲を受けておらず原爆の威力を確認しやすかったこと、軍隊、軍事施設、軍需工場が集中しており、それらがまだ破壊されずに残っていたことなどがその選考条件となった。

昭和20年(1945年)8月6日、深夜零時25分に出された空襲警報が午前2時10分に解除され、ようやく微睡みかけていた人々は、午前7時9分、警戒警報のサイレンで叩き起こされた。この時はアメリカ軍機1機が高々度を通過していっただけだったため、警報は午前7時31分に解除された。一息ついた人々は、防空壕や避難場所から帰宅して遅い朝食を摂り、仕事に出かける準備をし、それぞれの1日がまた始まろうとしていた。その日、月曜日の朝は快晴、真夏の太陽が昇り、気温はぐんぐん上昇していた。

午前8時15分、ついにその時がきた。人類史上初の忌まわしい無差別殺戮兵器である原子爆弾が市街地上空に放たれた。非白人社会だったからこそ投下されたか。ドイツがもしあの時降伏していなかったら、トルーマンはドイツに落とすという選択肢を選んだのか?

投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って、リトルボーイが炸裂し、二つ目の太陽となった。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地付近の地表面温度は3,000~4,000度に達した。

僅か一発で、一瞬にして、十四万人の命が絶たれ、生活が消えた。

 

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