第二百十三話:『丙申謹賀』

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 幾人もの死に逝く人たちの傍にいて、それぞれの人たちの生きざま、死にざまを観察する機会に恵まれたこと、そんな貴重な、でも深刻な思慮を迫られる医師という職業に就いたことを、私はいま後悔はしていない、いや誇りにさえ感じている。

 けっしてやり直すことのできぬ、一度きりの人生で、生きることと死ぬことの本質を見極めることは、誰にとってもそう簡単に為し得ることではない。

 一生を、百姓として土を耕し、種を蒔き、雑草を毟ることに、その人生の大半を費やした老婆が、従容と死を受け入れた情景に息を呑んだことがある。

 長年、大学病院の教授職にあったひとが、末期癌を患うも、その死を受け入れられず、周りの誰彼なしを罵り、家族に当たり、医療スタッフを怒鳴り散らすのも見た。

 ひとは、ひとりで生まれきて、ひとりで死んでゆく。しかし、独りでは決して生きられぬ。だが、他に依存したままでは、生を全うできぬ、死を受容できぬ。

 漢字林に依れば、個とは全体に対してのひとつ・ひとり、独立性の高いひとを意味し、孤とはみなしご・ひとりもの・よるべなきもの、という意味だとか。個の独立を成し遂げ、孤に生きることに慣れなければ、生を全うすることなどとてもできはしない。

 ひとは独りでは生きられぬものではあるが、独りで生きられぬということは、他に依存するものでは決してない。独りであることを認識して、孤であることを享受することが、生きることの本質ではあるまいか。

 昔から、私たち日本人には個という要素が決定的に不足している。不足したまま七十年前の敗戦を契機に、否応なしに欧米風の生活様式・社会構造を取り入れたことが、現代日本の不幸の根源となっているのではないか。

 

 孤独の真価を知らず、孤立を恐れるあまり、周りに流され、主体性を忘れる。自己の権利の追求には熱心であるが、責任や義務を振り返ろうともしないものたちが多過ぎるのではないか。

 

 確固たる信念を持って生きるということは、孤独に生き切るということだろう。いつか、必ず、誰にも、最後の覚悟を強いられるその時がやってくる。生の尽きるその瞬間をいかに迎えれば良いのか。

 

 ただただ、その時に向かって、ひたすら孤=個に慣れ親しむこと、これが私たちに課せられた唯一無二の命題。個=孤に生きること、これが為すべき、唯一のこと。

 


 

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