第六十九話:『世にふるも あめがふる』

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 「世にふるも さらに時雨の 宿りかな」  飯尾 宗祇

 「世にふるも さらに宗祇の 宿りかな」  松尾 芭蕉

 「蓑虫の ぶらと世にふる 時雨かな」   与謝 蕪村

 「うしろすがたのしぐれていくか」     種田山頭火

 「世にふる」は「世に経る」、「世に降る」、「世に古る」の掛詞。「時雨」は「過ぐる」からでた語で、晩秋から初冬、特に陰暦十一月に降る通り雨のこと。「通り過ぎゆくものの無常観」、さらには「寒さと厳しさ」の隠喩。

 宗祇の句、この世に暮らすということはほんの短い時雨の雨宿りのごときものだと。芭蕉もそれにすっかり同調。蕪村はもっと飄々と閑居を楽しむ風情。そして、さすがは漂泊の詩人、山頭火。時雨が似合うね。

 雨が好きだったらしい詩人と云えば重吉。夭折した彼が眺めた雨はきっと病床から眺める庭の雨。

 苦しみも、苛立ちも、焦りも、怒りも、そして病までも、すっかりと洗い流してくれることを願ったことだろうね。

 雨がすべてを流し去ったあとには、きっとむくの旅立ちが待っていることを夢見たのだね。

 雨の日

 「あめがすきか わたしはすきだ うたをうたわう」

 雨

 「雨はつちをうるほしてゆく

  雨というもののそばにしゃがんで

  雨のすることをみてゐたい」

                  二編とも八木重吉

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