第三話:クリニック開設に関する考察−2

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 今までに在宅ホスピスケアで看取った方は100名を超えました。特筆すべきは過半数の方がご自分の最後を自覚されるという事実です。強調したいのはまさにこの点です。

 最後まで意識が明瞭な方が多く、しかも最後を自覚なされる。これはいったい何故なんでしょうか。未だ確証を得るには至っていませんが、筍は以下のようなことを推測しています。

 筍の医療では、高カロリー輸液や、胃瘻栄養といった強制栄養法を殆ど導入しません。胃瘻栄養にせよ、経静脈栄養にせよ、癌のコントロールがつかない状況での栄養管理は、全く無意味と考えるからです。むしろ、投与された栄養素は、癌組織のみへの栄養源となるだけで、癌がとことん進行するまでの無意味な延命は、重大な破綻へと繋がり易いのです。何週間も、時には、何ヶ月も意識が無いまま、全く無意味な時間が費やされるのです。

 

 筍は末梢からの点滴さえも極力しない方針です。皮下注などもってのほかです。既に不可逆となった病状では、水分さえも機能的なものとはなってくれません。細胞内に移動はできず、細胞間腔に留まるのみだからです。結果として、沈降性浮腫や腹水や肺水腫となるのです。

 

 最近、興味深い論文が報告されました。水分投与の意義に関する研究です。末期癌患者を対象とした研究ではありません。寝たきり老人を対象とした研究です。寝たきり老人を無作為に2群に分け、一方の患者群には毎日1リットルの点滴をする。もう一方のグループの老人には1日100mlの少量の点滴を投与する。果たしてどちらが有用かという研究でした。

 

 結論としては、どちらも変わりはない、メリットは見いだせなかった、というものでした。それまで元気だった方が、熱中症などで急性脱水となったときには、点滴は必須です。ですがね、ねたきりや末期的な病状になると、点滴など要らぬのです。水分はご本人が欲しがった時だけ、口を潤すだけで良いのです。経口摂取が一番です。

 

 私たちにとって、人生における最後の仕事は、「自力で食べ、そして、飲むこと」、そうは思われませんか。

 

 何もしない医療、これこそが推奨されるべき看取りの極意ではないでしょうか。点滴などはまさに要らぬおせっかいです。

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