筍農園の唐辛子=王建:どこからこんな赤色が出てくるのか 

 

 何もしないといっても、やるべきことは数多くあるのです。

1.患者さんの苦痛は取れるだけとるように努力すること。

2.患者さんと家族を独りにしないこと、すなわち、寄り添い続けること。

3.病診連携を緻密なものとして、是正できる病状は治すべく努力をすること。

 この三つが筍の基本的治療方針です。

 今の医療は「やり過ぎの医療」が多過ぎます。その最たる原因は、私たちに「生きることと死ぬことの哲学」がなさすぎるからです。他力依存が強くては、到底、生を全うすることなどできません。「閑かなる死」など向かうるべくもありません。

 その結果、病院にせよ、介護施設にせよ、在宅にせよ、「やり過ぎ」が蔓延るのです。患者さん自身が望まれることが第一優先のことである筈です。ご家族の意向は二の次です。ましてや、医療者や介護者の都合などを考慮することなど、あってはならぬのです。

 高カロリー輸液にせよ、胃瘻栄養にせよ、末梢静脈点滴にせよ、適応は治るべき病状に対してのみとすべきです。「治らない、治せない」病状に対しては、足掻いてはいけないのです。

 生きる意味を考えなくてはいけません。行きている価値といっても良いのかもしれません。自力でものを食べ、水分を飲み、周りの方々と意思の疎通が出来る。これが生きるということではないでしょうか。意識も無い患者さんをただ横たえて、胃瘻や経静脈栄養で維持される状況など、有り得ぬこととは思われませんか。

 では「飢えて死なすのか」とよく反論する方がいらっしゃいます。飢えとは、食べたいけれど食べられるものがない状況をいうのです。末期癌患者さんの殆どは食欲が強く抑制され、食べたくもないのです。寝たきり高齢者も末期となるとそうなります。食べられないのではなく、食べたくないのです。餓死する訳ではないのです。

 力一杯生きて、そしていつか、「閑かなる死」に至る。生き生きて、そしていつか、従容として死に至る。これが筍の理想でもあります。

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