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「花の色は 移りにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに」

まさに小野小町の詠んだ通りの趣の今ですね。

 

さてさて、二百十五話に続いて、今一度、「共感」について考えてみましょうか。

 

早いもので医師になってもう三十五年が経過しました。想えば随分いろいろなことがありましたが、まあ楽しき刻が過ごせたと申していいでしょう。

 

国公立大学医学部合格を目指すも案の定の挫折、そして河合塾での一浪、医学部入学後は劣等感の裏返しの落ちこぼれで引き籠りの下宿生活、国家試験合格に続く外科学講座入局、生まれて初めて勉強らしい勉強をしたのがこの頃、手術に明け暮れ、医学生や看護学生の講義に熱中し、外科侵襲学と代謝栄養学に関する研究に没頭し、シンポやワークショップやパネルディスカッションなどなど、学会活動にも積極的に参加しました。八面六臂の活躍とはまさにあの頃のこと、文字通り全国津々浦々を駆けずり回って居りました。大化けした頃とでも云えばよいのでしょうか。そして、我が人生暗転のきっかけとなった外科学講座の教授選、それに続く新教授排斥運動の旗振り役、外科学講座の分裂と排斥運動の収束。遅まきながらのわが青春時代でした。

 

そんなこんなでいろんなことに夢中になりながらも、大学病院勤務の当時、私の心には一つのちいさな疑問が生まれて居りました。小さいけれど実に芯の根深い不審です。それが次第に大きなものへと育っていました。その不審とは、「病院の医療は果たしてこんなものでいいのか」という疑問、大学病院の医療は学問追求の場であることを免罪符として、余りに非人道的な医療を繰り返してきたのではないか、という疑問です。「人の死はどうあるべきか」、大学病院は果たして理想を提示できているのか、という疑問です。

 

Category生きる哲学
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