医者など居なくとも治る病気は数多い、いえ、殆どの病気がそうなのでしょう。逆に、医者が居たからこそ治るものも治らない、そんなことさえままあるように思います。患者さんが自分で治したにも拘らず、「俺が居たからこそ治ったんだ」などと錯覚する医療人がどれほど多いことか。概して大病院の偉い先生ほどそんな傾向が強いようにも思えます。
「我は医者なり」、「私こそ看護師」、「おいらはコ・メディカル」なんて胸張ってる輩に限って、患者さんとその家族に共感できないことが多いよね。悲しいけれど、医療者としてのセンスの一欠片さえ持ち合わせていない輩がいるのも事実だよね。その挙げ句、患者さんと家族の戸惑いや苦しみをよそに、高みから平然とものを云う、全て事務的に片付ける、所詮すべては他人事、つまるところ、傲慢かつ独善なのでしょうね。
昔から謂われているように、私たちは生まれると同時に死に向かっているのですよね。絶えず死に向かっているからこそ、ときに病いに罹り、ときに死の淵に喘ぐのでしょう。実にこの点において、病者は我々の先きを行くもの、先達であり師匠なのです。医療者にとって病者は教えを受けるべき師匠なのです。患者さんから教えてもらうべきことは実に沢山あるのです。患者さんの云うところに謙虚に耳を傾け、その立場を尊重する。
患者さんとご家族の想いに共感できること、これこそが先きを行くひとたちへの礼儀です。「共感」こそが医の原点、共感できるしなやかさを忘れないように。
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