立金花

立金花

 

最近、つくづく思うことがあります。それは往診のこと。この国では在宅医療と往診とが殆ど同義として使われているけれど、果たしてそれは妥当なことなのでしょうか。

 

在宅医療とは病院医療への対語であって、往診は在宅医療などではないのです。往診は単に在宅医療を支える一手段にすぎません。病院医療の目的の主たるものは、当然の事として「病気を治すこと」です。それに対して、在宅医療の主たる目的は「住み慣れた家庭で療養すること」でしょう。

 

いま高騰を続ける医療費の抑制策として、厚労省は躍起になって在宅医療の普及を叫んでいます。在宅医療支援診療所の届け出制度や、寝たきり老人在宅総合診療料(在総診)などの優遇策がそれです。

 

病院医療と在宅医療の根源的な違いをうやむやにしたままで、病院医療から在宅医療への誘導を図ってみても、所詮は無駄な努力となるのは自明のことです。官も民も「治療すること」と「療養すること」の違いすら理解せぬままの制度改革が実を結ぶ筈も無いのです。

 

納得ずくで在宅医療サービスを受けるための十分条件は、個人の死生観の確立だ。尊厳を保ったまま自宅で最後のときを迎えるには、本人にも、家族にも、自立した精神が要求されます。

 

安心して在宅医療サービスを受けるための必要条件は、地域の結びつきと支え合いです。人間関係が全く希薄なこの国の現状では、在宅医療など定着する筈も無いのです。

 

個人の死生観も確立しておらず、人間関係も希薄なままで、在宅医療の普及を図るなど、まさに笑止の沙汰です。こんな状況下で、二週間に一度の往診で事足れりとしてよいのでしょうか。これだけをもって在宅医療と呼んでいいのでしょうか。僅か10分か20分の滞在で、果たして何ほどのことができるというのでしょう。

 

病苦に蝕まれた本人、死への不安に喘ぐ家族、果たして誰が支え、誰が助けられるのか。何よりも地域の結びつき、何よりも死生観の確立が求められているのです。

 

「死なせ上手」が求められる所以です。

 

 

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