お房婆さんは今年八十九歳、まだまだ元気です。二、三週間毎に規則正しく外来受診されております。ある日のことです。お房さんを診察室に呼び込んだ時のことです。お房婆さんについてもう一人の婆さんまで入ってきました。
「あなたは?」
「こんひとが最近妙なこと云うんで、心配でついてきたんだ」
「お房さんとはどういう関係なの?」
「あら、やだあ、せんせい、わたし、お房の長女」
そうは云われても、どう贔屓目に見ても、筍の眼には、お房さんと同じくらいのただの婆さんに見えるのです。
「妙なこととはどんなことなの?」
「わたしが惚けてきたもんだから、この娘が心配してねえ。どうしてもついてくるって、きかんもんだから」
お房さんはなんだか恥ずかしそうです。
「その変なことって、いったい何だ?」
「何度も何度も電話をかけてくるんです」
むすめ婆さんが応えます。
「元気な証拠でいいじゃないか。何度でも母親の声が聞けてあんた幸せもんじゃ。母親と話したくとも話せないひとがいっぱいいるんだよ、世の中にはさあ」
「でもせんせ、このひと、糖尿の気があるって云われたとか、それにこの前はコレスリが高いとかで、薬もらったとか」
「何だ、そのコレスリって。コレステロールのことかい?」
「そうそう、それそれ。どっちなんですか、せんせ。はっきり云って下さい。私にだけは隠さんと」
「誰も隠してなど居りゃせんが。どっちも正しいよ、お房さんの云う通りだ。でもな、糖尿も、コレスリの高いのも、ちゃんと薬を飲んどけば、なんも心配ないで」
「ほらっ、私が云った通りだろ。この娘ったら、私の云うこと、全然信用せんし」
お房さん、我が意を得たりと俄然反撃に転じました。
「あんたは黙っとき。今日はせんせに正確なとこをきちんと説明してもらうんだから。せんせ、本当に大丈夫かいな、このひと」
「なにをいったい心配してるの、あんたは。それに母親のことを、“このひと、このひと”って呼ぶのはあんまり褒められることじゃないで」
「だって糖尿だとか、コレスリだとか脅かすし。それにこのひと、いや違った、母さん、最近惚けてきてるし。わたしゃ心配で心配で夜も眠られん」
果たして、どっちが惚けてんのか、筍にはよう判りません。
「お房さん、あんたは自分のこと、惚けとるって思うかい?」
「はい、何でもよう忘れるで」
自分自身に自覚のあるうちは認知症もまだまだ軽症です。
「娘のあんたはどうだ。惚けとるって思わんか」
「せんせっ、そりゃあんまりだ。わたしはただこのひとのことが心配で心配で、夜も寝られんのじゃ。だから来たっちゅうに」
自覚は全くないようです。むしろこっちのほうがある意味、重症じゃないんかねえ。
「いやいや、気に障ったのなら謝るけどね。でもよう聞きや、人間、誰でもお房さんくらいの歳ともなれば、多少は物忘れくらいするさ。でもな、あんたの母ちゃんはしっかりしとる。大したもんじゃといつも感心しとるんじゃ。あんたも自然の決まりをきちんと受け入れなあかんで。誰でも通る道なんじゃ。仮にだ、母親が惚けてもええじゃないか。惚けた母親をそのまま受け入れてやるのが、親孝行っちゅうもんじゃないのかい。あんたが夜も寝られんくらいに心配しても、悩んでみても、何の効果も得られやせん。むしろ、あんたが年取っちまうで。睡眠不足は美容の大敵じゃからの。いずれあんたの番も遠からず来るでの。覚悟しとかんとなあ。準備せにゃあかんで」
筍はむすめ婆さんにこう諭したのです。ですが、返事はまた例の問答の繰り返し。
「でもわたしゃ、心配で心配で、夜も寝られん。だから今日は付いてきたんだよう、せんせい、このひと、ほんとに心配ないんか」
こりゃ、娘よ、婆さんむすめよ。
筍はお前のほうが心配じゃ。
病は重いぞよ。
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