第二十三話から第三十三話まで連載した『おかあさん大好き、お母さんありがと』は、かつて筍が大学病院勤務の頃にやっておりました在宅ホスピスでの実例です。奥様と娘さん二人でご主人を看取られたときの手記をもとに、筍が勝手に改竄改変して小説風に仕上げた、いわばノンドキュメンタリーです。以前立ち上げていた「みくまの筍医者日記」のブログに掲載していたものを今回再び手を加えてご披露致しました。
切除不能の胃癌を宣告され、身内への癌告知に悩み、日に日に重篤化する病状に苦悩する家族の物語です。病状の推移や当事者の感情は出来るだけありのままにお伝えすべきと考え、手記にあった文面そのままに掲載した箇所も数多くあります。ご理解頂きますよう願います。
この物語はもう二十年近く前のことになります。当時はまだ在宅ホスピスケアの認知度は甚だ低いものでした。ですが在宅医療は今に至るもなかなか筍の理想とは懸け離れた状況にあります。国策として誘導されたお陰で、在宅医療専門クリニックも随分と増えました。ですが中には容態の急変時は救急車を呼んで病院へとの指示を出すような施設も少なくありません。
病院医療は「治す医療」であるべきです。これに対して在宅医療は「癒す医療」であるはずです。人生の終焉を閑かにそのひとらしく迎えさせるのが、在宅医療の本質であり意義です。治る見込みのない病気にかかったとき、いつまでも病院医療に頼っていては、残された僅かな時間が無駄となります。無為となります。
現在ではホスピスケア病棟の併設がなされた総合病院が多くなりました。いいことだと思います。ただ筍が強調したいのは、いかに繊細かつ精緻に設計された施設だとしても、長年住み慣れた自宅で過ごす時間とは比べようもないのです。筍が実践する在宅医療は、点滴や胃瘻栄養といった強制栄養法を極力排除したものとすることを基本にしております。家族の誰かさえも判らない様な病態で、何年も、時には十数年も寝たきり状態で介護することにどれだけの意義があると云うのでしょうか。患者さん本人がそれを望んだのでしょうか。
病院医療の弊害はやり過ぎの医療です。治すべき疾病は治すべく努力をする。治せない病態であれば速やかに癒しが出来る施設なり在宅を選択すれば良いのです。こうなれば病院勤務医の疲弊もかなり防げるのではないのでしょうか。
また昨今では、家族そのものの介護力不足や死への恐怖から、肉親の介護を厭う家族が数多経験されます。ひとの最期は病院でなどという風潮が一刻も早くこの国から無くなること、そのことを念じつつ、筍はいまクリニックの開設を目指しております。
3 Comments
星降る村の下っ端
2013年10月16日
理想は持ち続けたい。
しかし壁が果てしなく高く感じる。
如何にして打ち破れば良いのだろうか。
日々悩ましい。
一言、失礼致しました。
ひびの
2013年10月16日
本当にその通りだと思います。信念に基づいた医療を施されることをお望みします。
takenoko
2013年10月17日
星降る里の下っ端さん&ひびのさん
コメントありがとう。初めて読まれているのだなと実感できました。今後ともよろしくお願いします。
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