帰る道々彦八は何やらぶつぶつ独り言。
「戦はどがいなことあってもしちゃならん。ひとと争ってはならんのじゃ。ひとを恨んじゃならんのじゃ」
務めは無事に果たしたが、戦は何とか終わったが、どっちが勝っても酷いもん。もうこれからは鄙に埋もれておっかあ孝行、鍬を奮って田畑を耕し、もうこれ以上の殺生は金輪際しやせんと、彦八は故郷へ急いだんじゃ。
征くときと同じ山道を辿り、彦八は母親の待つ懐かしの添野川の里を目指した。気が急いて、心逸って、足はついつい速くなるんじゃった。ある山の峠にさしかかったそんときじゃ、急に腹がにやにやしてきたんじゃと。突然のことじゃったげな。こがい腹がにやにやしてはもう一歩も歩けやせんと、彦八や笹原に腰降ろいた。
「ああそやった。危うくおじどうさんとの約束を忘れるとこじゃった」
辺りを見渡すと笹叢の向こうにお地蔵さんが立って居られた。
「どうかこん戦で命落とすことの無きよう、どうかこん戦でひとを殺めんでもよきように。母の待つ故郷にどうか無事で帰れますようにお計らい下せえ。もしそうなったあかつきにゃ、きっとおじどうさまをこげな人里離れた寂しいとっから、あがらの郷にまでお連れ申して、末永うお祀り申すで。でひ(是非)にもご加護を賜りますよう。でひにもお慈悲を」 とな、行きがけに願掛けたおじどうさんじゃ。
「おじどうさま、どうかきやってけー(許して下さい)。おっかあのことが気になって、ついついおじどうさまとの約束忘れるとこじゃった。お陰で無事にこうして帰ることがでけたんで、こいからあがの郷までお連れ申すよって」
じゃがのう、おおけな石のお地蔵さんを背たろうて、険しい山道行くんはどえらい難儀じゃ。そいでも約束は約束じゃあ、守らにゃいかん。彦八はうんとこどっこいつらくって、お地蔵さんを肩に担いで歩いたんじゃと。けどのう、えろうてえろうてはかいかん(捗らない)、こがいに重てはどもならん、もう汗しんどろけの死にがためじゃ。彦八は道端につくもってお地蔵さんにお願いしたげな。
「おじどうさん、お地蔵さん、どうか軽うしちゃってくれんかのう。かたわりいが(格好悪い)あがの力じゃもう限界じゃ。柴三束ほどになってくれりゃせわないが」
するとどうじゃろう、何とお地蔵さんのかだらが軽うなったんじゃと。不思議なこともあるもんじゃ。
彦八がおおけな石のおじどうさんを背たろうて帰ってきたのを見た里の衆は喜んだ、そして驚いたんじゃ。こん険しい山道をこがいに重そなおじどうさんをよう運んだものじゃとな。彦八の話しを聴いた郷の衆はの、さっそくお堂を造ることにしたんじゃと。右にはもと居られた山を眺め、左にゃ添野川の里が見渡せる山裾にのう。
お堂の前には二本の五葉松を植えての、お堂の中におじどうさんを安置して、末永うお祀りしたんじゃと。彦八の年老いたおかしゃんはの、倅を無事に戻してくれた御礼にと、雨が降っても、風が吹いても、毎日、毎日、決してお参りを欠かしたことは無かったげな。
そんお地蔵さんはな、誰云うともなしに「いくさ地蔵」と呼ばれての、日清・日露の戦争の時も、せんの大東亜戦争の折もさ、おおぜの衆があがの大事なひとのためにのう、いくさ地蔵さんにお参りに来たっちゅうことじゃ。
どんだけのひとが無事に戻って来れたんかは知らんがの。もうたいがいに戦は止めちょけと云うとられるんじゃなかろかのう。戦は酷かろうもん。
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