添野川から田辺へと向かう将軍山越えの街道は今でも大層峻嶮な山道です。筍はそんなこととは露知らず、紀州には珍しく雪が降った数日後に、たった一度だけこの路を白浜へと向かったことがあります。
峠に差し掛かる山道には残雪多く、前夜の冷え込みですっかり凍てついた悪路となっていました。ガードレールなど全く整備されて居らず、滑落したら一巻の終わり、携帯電話も通じないのです。通る車とてありません。道幅も狭く今更引き返すこともできません。
ただただ真っ青な顔をして、ハンドル握る手に脂汗をかいて、ひたすらロー・ギアで、蝸牛が這う如く、ゆっくりゆっくりと進むだけでした。よくもまあ無事に白浜へと抜けられたものです。あれほど恐い想いをしたことはありません。今考えてみても冷や汗三斗です。
彦八は果たしてどんな気持ちで故郷をあとにしたか、どんな想いで年老いた母独り残してきたことか、どんな思いを抱いて戦に狩り出されたことか。峠に差し掛かる度毎に、だんだんと遠くなってゆく我家の方角を眺めたことでしょう。きっとそうだったと思います。後ろ髪引かれる想いの、悲しく切ない道程です。もう二度と、筍はあの道を利用することはないでしょう。いくさ地蔵が元々居られた場所には土台石だけが今でもあるそうですが、見つけることはできませんでした。
いくさ地蔵の祠はその田辺街道に向かう村はずれの山裾にあります。今ではもう耕作放棄された田圃の畦道を祠へと歩くと直ぐに小川に架かった小橋があります。ちょうど稚鮎の時期でした。澄んだ水の中で稚鮎の群れが水流に揺らぎ泳ぐのがよく見られました。橋を渡ると杉林です。
小径は良く整備され、梢からは鳥たちの囀りが降り掛かります。木漏れ日が下草を輝かせ長閑です。間もなく眼前には二本の五葉松の大木、一抱えではきかないほどの見事な樹です。その大木の間によく掃除が行き届いた祠、祠の扉を開けて、いくさ地蔵のお顔を拝見致しました。穏やかな笑顔の良いお顔でした。
二十世紀は戦争の時代だったとよく云われます。二十一世紀も今のところ世界各地で戦続きです。
悲惨な時代に私たちは生きているのです。
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