
眼の見えんお千代は平気じゃった。身の丈六尺五寸、髭ぼうぼうで顔中毛むくじゃら、眼だけが爛々と光る松太郎の姿を見れんのじゃから。 「どうかきやってけれえ(許してやる)。こん(この)にんにこ(握り飯)やるけ、きやったって」 …

どれほど昔のことじゃったか、今ではもう定かではないがの。 木の國大塔山の山中深くに、「松根の松太郎」っちゅう山男が棲んどったげな。 松太郎は身の丈六尺五寸、髭ぼうぼうで顔中毛むくじゃら、眼だ…

平井川地区の集落のはずれ、山のすぐ麓にその「庵寺」はありました。ちょうど初夏の好天に恵まれ、墓所を訊ね歩いていると少々汗ばむほどの陽気でした。 少し高台にあるその庵寺の猫の額ほどの境内からは谷筋の疎らな集落が見渡せます。…

「てきゃ(あのひと)のう、わえくちゃじゃあ。毎日、毎日、明るいうちから酔いさらして、涎喰うて(涎垂らして)寝ちょるんじゃ」 「どがいなもんじゃろのう、でもおもしゃいで。てきゃのう、とんがらしを肴にして、股ぐらに濁酒抱えて…

やらせ(北風)の吹き荒ぶ寒い寒い日のことじゃった。木の國平井川の里へ垢まみれのぼろぼろの衣を身に纏うた独りの男がやってきたと。髪はぼさぼさ、髭はぼうぼう、てんてらてんに黒光りした布袋竹の杖をつき、首には何が入っとんじゃろ…

添野川から田辺へと向かう将軍山越えの街道は今でも大層峻嶮な山道です。筍はそんなこととは露知らず、紀州には珍しく雪が降った数日後に、たった一度だけこの路を白浜へと向かったことがあります。 峠に差し掛かる山道には残雪多く、前…

帰る道々彦八は何やらぶつぶつ独り言。 「戦はどがいなことあってもしちゃならん。ひとと争ってはならんのじゃ。ひとを恨んじゃならんのじゃ」 務めは無事に果たしたが、戦は何とか終わったが、どっちが勝っても酷いもん。もうこれから…

いまではもうどれほど昔の事じゃったか定かではないがの。 添野川(そいのがわ)の庄に、年老いた母親とひとり息子が住んどったげな。倅の名は彦八、そりゃあ優しゅうて親孝行な男じゃった。花咲く春から錦秋過ぎる頃までは僅かの田…

話し始めて未だ間もないのに、既に当初の心積もりを崩してしまいました。お詫び申し上げます。 「民話の舞台となった現地の現状も併せて報告する」という条件です。 植魚の滝は紀伊半島の最高峰大塔山(1122m)の中腹にあります。…

そのうち魚の頭も腐りはて、せっかく魚を植えた畠もだんだんとくさむいて(草が繁る)きてのう。 「作り方間違うたんやろか。何か悪いとこあったんかいのう」 「こん畠じゃでけんのかいなあ。あん刺身がもいっぺん食べてえもんだのう」…