第十六話:「ころりの鈴」

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 書斎を片付けていたら、「ころりの鈴」がふたつ出てきました。素朴でかつ澄んだ音色の土鈴を何処かの道の駅で見て、自分で作ってみたことがあるのです。白萩、織部、伊羅保、黄瀬戸、そば釉など、色々試しましたが、今、手元に残っているのはどうやらこのふたつだけとなったようです。

 それ以外の鈴は果たして誰に貰われていったのでしょうか。そのうちの幾つかはもう割れてしまって、土に還ったかもしれません。手元に残ったふたつのそれは黄瀬戸と白萩、大きさは一寸から二寸くらい、手に取り優しく揺らすと、ころころちりちりんといい音が響きます。書棚の目立つ所にふたつ並べて置きました。

 筍はこれらの鈴に、「ころりの鈴」と勝手に名付け、貰ってくれるひとに進呈して居りました。「朝な夕なにこの鈴を振り、謙虚に慎ましく生きていれば、きっと長患いをしないで済む」、とまるで巷に数多溢れる怪しき占い師のごときご託宣を添えて。

 世は上げて健康志向の狂乱。書店を訪れると、ダイエットや健康食の調理本とやらが、書棚にずらりと並び、テレビでは毎日毎日飽きもせず、これが身体にいいとか悪いとか。バナナが良いとなれば、バナナというバナナがスーパーの店頭から掻き消える。飲むだけで痩せられるというプロテインダイエットなどという意味不明な怪しき「薬」が、馬鹿高い値段で売れに売れる。時には得体の知れぬ痩せ薬で命を落とすなどなど。

 どうして見掛けの容姿のみに心奪われ、命懸けで痩身に血道を上げねばならぬのか。健康は善で病は悪か。命短く儚きものは敗者で、命永らえるものこそ勝者と呼ぶべきものか。いったい幾つまで生きようと足掻くのか。

 一休禅師がおっしゃったではないか。

「死ぬるときには死ぬるがよかろう」と。

 今の医療は患者を死なせること即ち敗北、何が何でも生かすのだと、意識もない年寄りの皺だらけの胸に針を刺したり、腹の壁に穴を穿けたり、静脈栄養とやら胃瘻栄養とやらで、無理無体に命を永らえさす。末期癌や再発癌の患者さんが静かに息を引き取ろうというその刹那にも、それ心臓マッサージやら人工呼吸やら。

 哲学もないへっぽこ医者が、酸いも甘いも噛み分けた人生の大先輩がたに、反っくり返ってものを云う。死の学問の欠片さえも学んでいない医者なんぞ、ものの役には立つものか。

 いったい幾つまで生かそうと足掻くのか。自らの技量の敗北を認めるのが嫌なのか。それとも生かさず殺さずでとことん金儲けを企むのか。

 一休禅師が仰った。

「死ぬるときにはしぬるがよかろう」と。

 「ころりの鈴」、鳴らしてみたいひとはいませんか。

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