第二百三話:『先達が次々と』

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筍の大事な患者さんが相次いで旅立たれました。お二人とも筍にとってはとても大事な、思い入れの深い患者さんでした。ともに残された僅かな時間を過ごす場所として、ご自宅を選ばれたのです。

おひとりは末期の肺癌患者さん。右肺はほとんど癌腫で占拠され、片肺飛行です。当然、酷い呼吸困難感と頑固な咳嗽に悩まれていました。ですが、件(くだん)の爺様、根がとても明るいのです。長年連れ添った婆様も明るい。隣に住む娘さんも始終見に来てくれます。ちょっと苦しいけど、それなりに平穏な日々が続いておりました。面白いご夫婦でした。

「あんたはもう死んじゃうんだから」

こんなことを平気で爺さんに言う婆様でした。

婆様のこの言葉を最初に聞いた時、筍はどぎまぎしてしもて、思わず聴診器を取り落としそうになりました。ほんに初心(うぶ)な筍です。

「あんたみたいな病気の人はわたしゃとてもよう看んで。病院へ行ってくれた方がどんだけ楽か」

婆様、こんなことも宣(のたま)います。

二ヶ月近くは平穏に過ぎていきました。ですが、病は確実に進行していきます。だんだんと残り時間が少なくなってきた頃、爺様の枕元に夜な夜な大きな蛾やら、蛇までが入り込んでくるようになりました。その度に爺様、これを追い出そうと大騒ぎです。目がギラついてきます。幻なのです。婆様には見えません。娘さんにも見えません。でも爺様だけには見えるのです。

そんな爺様でも、昼間は至極正常です。夜に蛾や蛇が入ってきたことも覚えておられます。往診に行くたびに筍にも訴えられます。昨晩はえらいことじゃったと。大きな蛇が入り込んで、エアコンの後ろを這いずり回るんで困った。なんとか追い出そうと突いたんじゃがなかなか出てこん。ほんに困ってしまうんじゃと。一緒に寝ている婆様は連夜の大騒ぎにもう疲労困憊です。

折も折、かねて妊娠中のお孫さんに陣痛が始まったのです。付き添いの娘さんも我が娘の出産で、とても爺様の介護どころではありません。疲れ果てた婆様では末期癌の夫の介護など、どだい無理な相談。急遽、元の病院へ緊急入院となりました。入院してからは蛾や蛇はぱたっと来なくなったそうです。きっと弱っていく自分に不安が強かったのでしょう。

ひ孫も無事誕生しました。結局、最後は病院となりました。筍は何一つできませんでした。「家で最後を」の願いは叶えてあげられませんでした。筍は相変わらず筍のまま、藪にもなれません。

今おひとりは胆管癌の再発患者さん。自宅療養までに、癌の再発による閉塞性胆管炎、さらには多発肝膿瘍からDIC(播種性血管内凝固症候群)を併発し、この春先に危篤状態に陥ったのですが、なんとか乗り越えられました。残り僅かな時間を「最後は自宅で」と望まれ、在宅末期癌ホスピスケアとなり、筍がお世話することになりました。

癌性腹膜炎で何箇所もが腸閉塞状態、見るだけでも数カ所、局所的に腸が膨れ上がり、まるでお腹に風船を入れたようになっております。破裂しやしないかと気が気ではありませんでした。排便の度毎にお腹が痛むようです。麻薬系の鎮痛剤を処方することで、痛みのコントロールはまずまずでした。

比較的穏やかな時間が過ぎて行きました。でも病はやはり待ってはくれません。次第次第に痩せていかれます。ゆっくりと体力が消耗されていきます。あと数日しか残されてはいないだろう或る日のこと、囁くような小さな声で筍にこう訊かれたのです。

「ほかにもう手はないのですか?」

辛かったです。泣きたくなりました。無力な自分がなんとも言えず悔しかったです。治せる病気の患者さんを診るのは容易いことです。治せぬ病の淵に喘ぐ患者さんに寄り添うのはとても辛いものです。

「そんな手があるといいですね」

こう答えるしかなかった。閑かな表情をしておられました。諦観した顔だったでしょうか。そうあるべきですよね。そうであって欲しいのです。辛い一瞬でした。いまでもずっとその一瞬のことを、その一言を噛み締めております。

来るべき刻はやってきました。比較的穏やかなご最後でした。先にご紹介した肺癌の爺様が亡くなられたその翌日のことでした。

患者さんはみな先達です。先を行く人です。先に逝く人なのです。

なにかと教えられながらの在宅医療です。

末期癌患者さんとお付き合いをする度毎に、筍は己の未熟さを嫌というほど痛感させられます。

ただただ合掌。

 

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