第二十五話:「お母さん大好き、おかあさんありがと 第三章」

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 術後経過はそれは順調だった。御飯も美味しく食べてくれた。

「なんでお父さんだけこんなに食べられるのかな。ほんまに胃とったんか」

何度も尋ねられた。その度に凄く辛かったけど嘘をつきとおした。

お父さんが昨年から楽しみにしていた詩吟の大会が迫っていた。小山田先生の上司、手術執刀医の藪先生が病室に来られたとき、何とか出場させたいのだけれど無理でしょうかと思い切って尋ねてみた。

「声を出すのはとても良いリハビリになると思うので是非出場して下さい」と、藪先生はすぐさま笑顔で答えてくださった。父もすごく張り切って練習していた。

 二月二十三日、いよいよ詩吟大会の当日の朝、一次外泊の許可を得て出場することが出来た。でも出番まで二時間以上も椅子に座って待たねばならなかった。待つのがとても辛そうだった。息の詰まるような緊張感の中で出番を待つ。いよいよ父の出番となった。家族全員、固唾をのんで父の晴れ姿を眺めてた。舞台の上のお父さんは凄く格好良くて、本当に上手で感動した。出場の誰よりも素晴らしい声だった。結果もちゃんと合格だった。その日の夜は病気のことも忘れて、みんなで喜びを分かち合った。久しぶりの家族の団欒だった。

「ああ、やっぱり家はいい。明日はもう病院なんかには帰らんとこかな」

父が冗談っぽく笑う姿を見ていて急に涙がこぼれそうになって慌てた。本当にそうしてくれたらどんなにいいことか。でもここでしっかりと治療しとかないともう駄目になるかもしれない。恐ろしい。誰か助けて。

 お姉ちゃんの妊娠が判ったのはちょうどこの頃だった。お父さんに初孫を抱かせてやりたい、見せてやりたい。それがお母さんと私の新たな目標となった。

 三月二十六日、退院の日がやってきた。お父さんも嬉しそうでした。でも家族の動揺を鋭く感知してるのでしょうか。時折寂しそうな不安そうな顔をしてボーッとしていることがあります。

「お父さん、気づいているの、癌だと判ったの?」

でもお父さんは私たちには何にも云いません。私たちも黙っていました。

 家に帰ってから二週間くらいは割と順調でした。食事も美味しい、美味しいと云って食べてくれました。

「お母さんと博子の手作りの料理はやっぱり最高だな。皆で食べれる幸せを噛み締めなあかんなあ」

お父さんは食事の度毎にそんなことを言ってました。いつまでもこの状態が続いてくれればとどれほど願ったことか。家族揃ってパターゴルフにも出掛けました。ですが心配なことがひとつ出てきました。この頃から父は時々腰が痛いと訴えるようになったのです。時折お腹も痛むようになり、便が出にくいらしく、苦しそうな表情を見せることが多くなりました。

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