第百四十八話:『医療と報道』

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「死期が迫った患者さんを前にして医師は何を為すべきか」については、消化器癌専門医を目指したときからの大命題です。昨今の医療に係わる事件報道を見るとこの国の医療の行く末が心配でなりません。

たったひとりで県立病院の産婦人科を支えていた若い医師が、帝王切開手術に際して胎盤癒着症の29歳の産婦の胎盤剥離に難渋し死に至らしめたとして逮捕されるという事件、皆様ご記憶でしょうか。そう今からもう10年も以前のこと、福島県立大野病院事件です。

胎盤癒着症は術前診断が困難で、仮に大学病院で治療を受けたとしてもなかなか治療困難な疾患です。死亡率の高い厄介な病気です。逮捕の理由としては過失致死と異常死届け出義務違反でした。患者さんひとりが亡くなられた事実は非常に重いものがありますが、手術に相応の過失がないと思われるあの事例に対しては、全国各地の産婦人科医あるいは産婦人科学会や医師会などから、強い懸念と反発が表明されました。

医療過誤や医療ミスに対するマスコミの姿勢は、大概、ステレオタイプなことが多いのですが、とりわけ残念だったのは報道各社の記事の内容表現です。ろくに医学的な知識もない記者の、甚だ主観的かつ偏向的な取材結果がそのまま活字となって全国に流布されたのです。影響は小さくありません。

また評論家と称する訳の解らぬコメンテーターがさも得意げに全くナンセンスな論評を展開することも屢々でした。多くの大新聞の見出しは“帝王切開の手術ミスで死亡”というものでした。少なくともあの時点で手術ミスがあったなどといったい誰を取材してのタイトルなんでしょうか。患者さんが亡くなられたら全部が手術ミスなのでしょうか。入院中の死亡も全部が医療ミスなんでしょうか。

そういえば、病院のたらい回しで何時間も搬入先を探し回ったってなニュースは、いまどき日常茶飯のこととなりました。そもそも「たらい回し」とはいったい何事なのでしょうか。たらい回し(盥回し)とは、たらいを足などを使って回す曲芸の一種。転じて、物事を次から次へと送りまわすこと、面倒な案件などを部署間で押し付け合う責任のなすり合いや責任転嫁などをそう呼ぶのではなかったか。

死にものぐるいで働いて、もうこれ以上の受け入れは困難な状況にある医療現場が、その能力の限界という理由で患者搬入を断ったとして、「たらい回し」などという言葉を使って、恥ずかしくもないのでしょうか。いったいどんな了見でこんな言葉を使い続けるのでしょうか。

無理して受け入れて、スタッフ不足に基づく医療過誤やミスとなったら、それこそ鬼の首でも取ったが如く、正義面して国民を先導したつもりとなって、詳細の把握も不完全なまま、医療ミスだ、医療ミスだと、非難嗷嗷の大合唱を煽るマスコミに、良心の呵責というものはないのでしょうか。

なぜ、「たらい回し」という状況が生まれているのか。それを真摯に取材し、その分析に基づいて対応策を提案する。などと云ったまともなマスコミはないものでしょうかね。ついぞお目にかかったことことがないですね。

結果責任として手術関連死が罪に問われるようなことになるのであれば、今後は外科、脳外科、産婦人科などメスを握る医師のなり手は益々減少していくこととなります。とすれば、いよいよ「たらい回し」が一般的なものとなるでしょう。残念ながら医学は全てが合理的かつ論理的な科学ではないのです。一人一人の身体構造は千差万別なのです。100%安全確実な手術など有り得ないのです。

医療の現場は仕事のきつさにも拘わらず、評価も感謝も有り得ぬ過酷な職場となりつつあります。そんな職場に働く若い医療者の間に、リスキーな症例を避けようとする傾向が強まるのは至極当然のことです。“立ち去り型サボタージュ”となるはずです。

それにしても今の研修医制度が続く限り、地方の医師不足は益々深刻なものとなっていくでしょう。何故に我が国のお役人たちはこうも小手先の制度変革ばかりをするのでしょうね。

国全体の停滞の原因はこんなところにも垣間見ることができます。

 

 

 

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