第百八十五話:『空の器』

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お初さんは今年米寿になりました。以前よりの筍の大事な患者さんです。五十を優に超えた息子との二人暮らし。周囲を黄金色に輝く稲穂に包まれた、都市化から取り残されたような田園地帯の真っ只中の古びた農家造りの家に棲んでおります。半年前までは二週間に一度、きちんと診察と投薬を受けておいででした。

 

診察室で毎度訴えられるお初さんの口癖はこれ。

「早う、お迎えが来んかのう。もうこの世にゃ未練無いで。あっちへ逝ける薬を混ぜといて」

「死んだあの子が早う迎えに来りゃええのに」

「年取るんは何もええことにゃあ。つれえことばっかだで」

 

お初さんが筍診療所に顔を出さなくなったのは丁度夏真っ盛りのころから。認知症が急速に進行し、息子を弟と間違えたり、自分の歳は六十一歳だとか、なんとしなければとやきもきしていた矢先のこと。救急隊から突然の連絡、田の畦に倒れているところを発見された由。ほどなくサイレンを鳴らしつつ救急車が到着。お初婆さんの顔を見るのはかれこれ三ヶ月ぶりのことでした。

 

右側頭部には幅五センチの骨膜に達する裂創。頭から顔半分は血だらけ、右耳の穴からも出血、到着時の意識は清明、でも受傷前後の記憶はないとのことでした。頭蓋底骨折の疑いもあります。二次医療機関に転送しようかと付き添いの倅に伝えました。ですが返事は「要らん」の一言。仕方なく出来得る検査と処置を済ませ帰宅させました。幸い頭蓋底骨折は無かったようで翌日も元気な顔を見せてくれました。

 

抜糸を終える頃までは息子さんに連れられて診療所に通っておられたのです。が、その後はまた幾月も姿を見せません。自宅を訪れたケアマネさんの話では、「金がかかるから診察なんか受けんでいい」と息子さんが言っているらしいのです。婆さんの年金だけが唯一の収入源、婆さんに寄生するがごとき息子が云うべき言葉ではありません。ありませんが、息子も足が悪く満足には働けないのです。仮に働く体力があったところで、働ける場所が無いのです。最低限度の世話はしているようです。でも行き届いたものでは到底無いのです。ひがないちんち縁先の蓆の上に座らされ、ただ黙然と一面の稲穂を眺めているだけの毎日なのです。たまに他人様が顔を出すのは介護認定更新のときだけ。

 

先日、何ヶ月ぶりかで診療所に受診されました。待合室で車椅子に乗って居られるお初婆さんを見て驚いたのなんの。筍の顔を見ても何の表情も浮かんではきません。周囲への興味さえ失ってしまわれたようで、あらぬ方向に目線は固定されたまま動きません。日に焼けてどす黒い皺だらけの顔には、喜びも悲しみも怒りさえも浮かんではいません。身体を傾げたまま車椅子に埋もれた塑像のように身じろぎもなさいません。いわゆる重度の離人症の状態、もはや意思の疎通はなし得ません。お初さんの魂はその老いた肉体を離脱し天空の彼方へと駆け抜け、ただの朽ちかけた空の器が残されているだけ。誰からも相手にされず、ただただ風のそよぐ稲穂を眺めるだけの繰り返しがきっとこうしてしまったのです。

 

介護保険料の徴収は全国津々浦々まで強制的に徴収されていますが、受けられる介護サービスの内容は一律ではありません。いやむしろ劣悪とも云える乏しいサービスしか展開されていないことが屢々です。息子の親不孝を詰るのも、行政の不作為を糾弾するのも簡単です。ですが元気な頃のお初婆さんの嘆きが耳の底に響きます。

 

「生きていたって何の面白いこともにゃあのに、そういつまでも生かさんといてよお。はよお、あっちへ逝ける薬を出してくれんきゃあ」

 

悲しいね、人間って。

 

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