第百十八話:『植魚の滝 その参』

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そのうち魚の頭も腐りはて、せっかく魚を植えた畠もだんだんとくさむいて(草が繁る)きてのう。

「作り方間違うたんやろか。何か悪いとこあったんかいのう」

「こん畠じゃでけんのかいなあ。あん刺身がもいっぺん食べてえもんだのう」

「何とか生えてはこんもんかのう。芽え出してくれんのかのう」

「おまんやおっとうにも喰わせてやりてえのう。あらくたい(すごい、とっても)うめえもんじゃで」

太郎と次郎はのう、そんなこと話しながら、毎日、毎日諦めきれずに、せっせ、せっせと滝壺の水汲んで畠に撒いたんじゃと。 太郎も、次郎も、寝たきりのおっとうも、もう諦めかけておった。

木葉菟がほーっほーとよう啼いちょる晩のことじゃった。なんとのう、太郎と次郎の夢枕に滝の守り神が現れたんじゃ。

真っ白な総髪、これも真っ白な長い髭、透き通るような白い襦袢を羽織った細身の長身、腰には瓢箪一つつらくって、手には六尺ほどもある根曲がり竹の杖を持っとったげな。

「太郎や、次郎や、おまんらの親孝行への褒美として魚を仰山穫らせてやろう。明日の朝、滝壺の淵に来るんじゃぞ」

二人がおんなじ夢見るなんて不思議なこともあるもんじゃと驚いたが、夜が開けるのももどかしく、兄弟揃って畠の横の滝壺へと急いだんじゃと。

するとどうじゃろ、滝壺の淵はあい(鮎)やら、こさめ(天魚)やら、仏の小魚(こうお)やらで沸き立っとったげな。二人はの、滝の守り神にお祈りをしてこう云うたげな。

「滝の守り神様、こがいに仰山の魚を授かり感謝申す。けんど親子三人が喰うには多すぎる。魚も生けるもん、儂らも生けるもんじゃ、こんうちから六匹だけは頂いて、残余は淵で見守ってやって下せえ。里の衆が飢えそうな折にゃまた頂かして貰いてえ」

この後、どがいに不作な年でも、いや不作な年ほど不思議と魚だけはよう獲れたげな。飢え死にするよな人は大塔山一帯では一人もでんかったげな。

いつのころからか里の衆はこの滝をの、”植魚(うえうお)の滝”と呼ぶようになったそうじゃ。植えた魚からはとうとう芽はでてこんかったげな。そん替わり、魚を植えたその畠ではの、野菜でも何でもようでけたげな。

あん時、太郎と次郎が欲ぼけしくさって、滝壺のいおを全部獲ってしもうてたら、きっとその後は長いこと魚も捕れず、おおぜのもんが飢え死にしたじゃろのう。

人間、喰えるだけのもん獲って、ちっとの(少しの)ぼっきんこ(小銭)を蓄えての、慎ましゅう生きるんが一番じゃ。

間違うても金の亡者にはなるでないぞよ、金では心の平安は買えんでの。金で尊敬も購えんでの。

実を見極めるんじゃ、実をの、決して虚に惑わされてはならんぞよ。

これでおしまいじゃ。

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