春も間近な或る寒い朝、愛しい女房が卒中であっけなく死んでしまったのです。たった数日のことでした。看病の間さえ無い突然の別れでした。隣組のものたちがほんの申し訳程度に集まっただけの寂しい葬儀でした。川下から呼んだ坊さんが経を読む時も、喪主として焼香するよう促されても、浅市のとっつぁんは耄けたように縁側にただ黙然と座るばかり。さて、いよいよ納棺の儀に移ろうとしたその時でした。隣組の爺さんたちが女房の亡骸を持ち上げようとしたその刹那、縁側の浅市が俄に駆け寄り、女房の腰を抱えようとしていた隣の甚兵衛爺さんを突き飛ばしたのです。
「寄るな、触るな、だあれもおっかあに手なんか触れさせねえ」
浅市が亡骸に覆い被さって叫びます。
「なんでおいらをおいていくんだよう。なんでおらより先に逝かねばならねえんだよう。何でも一緒にやって来たんじゃねえか。なんでだよう」
集まった全員がただ言葉もなく立ち尽くして居りました。長い時間が経ったように思われました。
傍らにいたみいちゃんが浅市の肩にそっと手を置いて優しい声で諭しました。
「とうさん、あんまり嘆くとかあさんが辛がるよ。もういいでしょ。皆さんも困っていらっしゃるよ」
とっつぁんはもはや冷たく固くなってしまった女房の亡骸を、たった独りで抱え上げて、まるで頬ずりをするかのように顔を寄せて、そして、そっと棺に納めました。山々から吹き下ろす風は未だ冷たく、鳥たちの囀りも聞こえぬ、寂しく、閑かな野辺送りでした。
そして、四十九日の法要が過ぎた後、子供たちも都会へと旅立っていってしまいました。都会で生まれ育った彼らには、鄙の暮らしは堪え難い退屈なものだったのでしょうか。血の通わぬ親子三人だとて、それまであれほどに仲睦まじくやって来たというのに。彼らの間でいったいどんな会話がなされたのでしょう。浅市のとっつぁんはまた独りぼっちとなりました。それでも僅かばかりの田んぼと畑を耕せば、とっつぁん独りの糊口を凌ぐには十分過ぎるくらいでした。何より愛しいおっかあの匂いが籠ったこの家から離れる気など毛頭ありませんでした。
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