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御高齢の方によくありますね。ちょっと頭が重いとか痛いとかで、すぐにMRを撮ってくれだの、やれCT検査だの。何ら神経学的異常が無いにも拘わらず、検査を受けないと納得しない。年齢相応の変化が認められるだけですと云われて悦んで居られる。

東北産の海産物や福島産の農産物などは放射能が怖いから買わないと宣いながら、CT検査などは滅多矢鱈に好きな御仁がいますよね。CT検査で受ける放射線量のことご存知なのでしょうかね。

がん検診でもそうですよね。たとえ癌が見つかったとしても、すでにがん手術の適応外とされるような超高齢の方々もがんだ、がんだ、がん検診だと、実に熱心に受診される。すでに八十の齢を越え、乳腺組織などとっくに萎縮し繊維化しているだろう超御高齢のご婦人方も乳癌検診は受けられる。そんな皺くちゃなおっぱいの化石のような乳に癌など出来よう筈もないのにです。若い人こそ受けにゃならないがん検診、喜寿を過ぎたらもうええで、じゃいけないのですかね。

子供の風邪にしたってそうですよね。ちょっと熱が出る、ちっと水洟が垂れる、寝入りばなに咳が、などなど。すぐに医療機関に罹り、薬を貰うと安心する。子供に熱なんぞつきもんじゃないのですかね。活気があって、いつもどおりおっぱい呑んどりゃ心配ないのです。風邪症状に抗生物質処方なんて、百害あって一利無しの典型です。いかに無駄であることか。

先ず皆さんに問いたいのです。

治る、あるいは、治せる病気は当然病院に入院してでも治すべきですね。これに疑問の余地はないですね。ではもし、治らない、あるいは、治せない病気になったとき、私たちはいったいどうすべきなのでしょうか。

世界の何処かにいるかもしれない名医を訊ね、病院を転々と彷徨い歩くか。あるいは、どんな悪性の、どれほど末期的な病気でも治るという、魔法の薬を探し、秦の始皇帝の使いのごとき徐福となるか。

そのいずれの試みも、焦れば焦るほど徒労に終わる確率が高いでのすがね。

治らないとなれば、残りの限られた日々を家族とともに静かに過ごす。これほど最良の選択肢はないように筍には思えるのです。在宅末期癌ホスピスケアがまさにそれなのです。

「Choosing Wisely」、日本にも日本風の運動が展開されることを祈って止みません。

賢い患者さんになって下さい。良きアドバイザーたるべき、それぞれの個性に見合ったかかりつけ医をお探し下さい。


 

Category生きる哲学
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