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さなゑ婆さんは93歳のとき、脳出血で倒れて意識がりません。療養中に四肢の拘縮が進み、着替えも、おむつ交換もなかなか大変な状況です。もう丸三年が経過しました。

 

要介護度5、栄養は胃瘻からのみ。意識は無いまま。それでも眼球運動は認められます。声を出されることもあります。意味は判りません。ご家族の手厚い介護で、褥創もありません。

 

それにしても、これほどの時間が経過することになるとは・・・。ご家族は当初想像もしていなかったと云われる。そして、いま、ひとが生きていくことの意味について、深く悩まれています。

 

殆ど閉じられたままの両の眼は、ときに何かを追い求めるように動きます。人の気配がする方向に顔を向けられる仕草もみられます。だが意思の疎通は全く絶望的な状況です。

 

ひとが自力でできる最後の仕事が、咀嚼と嚥下だと云われます。それができなくなった時、我が国では深い議論も無く、往々にして胃瘻造設が適応とされます。それによって生は確かに延長します。

 

しかしそれがどうだというのでしょう。ご本人は果たしてこのような状態を続けることを望んで居られるのでしょうか。胃瘻造設を担当する医者の9割以上は、自らの場合には胃瘻という手段を拒否したいと考えているとのアンケート結果もあります。

 

自らが望まぬ医療行為を他人に施行することの倫理性はどうなのでしょうか。問われて然るべき重要事項です。

 

Category生きる哲学
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