先ず人工呼吸器の電源はそのままに、気管内挿管されたチューブの絆創膏固定を外しました。次いで暫く酸素を100%として10回程深呼吸を続けさせました。呼吸器の警報装置は予め解除しておきました。次いで気管内チューブのカフの空気…
「お父さん、こんな状態でいつまで放っとかれるの。人工呼吸なんて意味ないんじゃないの。人工呼吸をしていれば白血病が治るとでも云うの」 筍も全く同感でした。こんな形で生かされていることが父にとって何の意味があるのか。これこそ…
それから一ヶ月後、お宮参りの帰りに父を見舞いました。父のベッドに長女を寝かせ初の顔合わせです。嬉しそうでした。閑かな眼で初孫をじっと見詰めて居りました。自らの命の短さにはとっくに気付いているようでした。優しくそっと長女の…
ですが、たった一本の電話がそんな日常を一変させたのです。大学の血液内科の医師からでした。 「一度早急にお会いしたい。お父上のことで相談したい」 翌日、大学の研究室を訪ねました。そこで告げられた病名は白血病で…
久しぶりに煌めくような朝の光の中に出ました。最寄りの私鉄の駅に向かう住宅街の小道の両側に植えられた桜の古木が満開の時を迎えて居りました。よはすっかり春爛漫の装いでした。医師国家試験初日の朝のことです。数ヶ月間は夕刊…
医学部の卒業式と謝恩会には珍しく父が出席すると連絡がありました。およそ子供の就学や進路について一言も意見を言わぬ父に、いったいどのような心境の変化があったものか。当時の私はかなり訝しくも感じ、少々面倒なことになったと身…
東海地方もすっかり冬めいてまいりました。北国ではそろそろ根雪となる頃なのでしょうか。この秋、北海道苫前にあるクリニックで診療に従事致しました。常勤の院長先生が年休を取るとのことでの穴埋め…
心が疲れてくると思い出す居酒屋があります。以前勤めておりました病院の近くです。その名も“やすべえ”。カウンターだけの小さな小さな一杯飲み屋です。七、八人も入ればもう座る席はありません。ですがそこ…
艶乃婆さんは御年82歳、元気もんです。若い頃、旅館の仲居で鳴らしただけに、今もその名の如く仕草がどことなく艶っぽい。もう30年も前に卵巣癌を患いました。卵巣癌手術とそのあとの放射線治療のために膀胱機能が障害…
「よしあしを 君し分かずは 書きたむる ことのはぐさの かいやなからむ」 新続古今和歌集(雑) こころの うちの すべてを わかってほしくて あるがままに きみに せんまんげんを ついや…