第百七十話:『知恵の重さ』

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その昔、大阪の池田で家を借りることになった。二階建ての一軒家、玄関脇には別棟もあった。母屋と別棟に囲まれた庭には、柿、八朔、甘夏、茱萸など、いろいろな果樹が沢山植えられていた。そこそこの広さのいい庭だった。何より気に入ったのは駅から遠すぎもなく近すぎもない程々の距離、そして二階の一間に作り付けられた壁一面の書棚。

 

さて引っ越しの日が来た。家財道具を満載したトラックが玄関脇に横付けせれ、それぞれの荷物を各部屋に搬入となった。引っ越しのプロたちが本の詰まった段ボールの多さとその重さに泣いておった。二階まで運ぶのが難儀そうだった。腰を痛めそうだと嘆いておられた。次の引っ越しからは本はもっと小さな段ボールに詰めてくれと懇願もされた。

 

ようやく搬入作業が終了し、引っ越し屋さんは帰っていかれた。さあ、始めるぞと大張りきりで書棚に手持ちの本を入れていった。我が城、我が塒、我が書斎になるはずだった。何せ、壁一面の書棚、医学書やら小説やら新書やら、持ち込んだ全ての本がすっかり収納できた。

 

やれやれここらでちょっと一休みでもと部屋を出ようとしたところ、どんなに力を込めてドアノブを引っ張ってもドアが開かん。ビクともせん。なんでじゃ、どうしたんじゃと狼狽えたこと。誰ぞの呪いかもしれん。

 

そのうちはたと気がついた。本の重みで家全体が歪み傾いたせいじゃと。泣く泣く書棚からまた全部の書物を取り出して、部屋の真ん中に山積みした。すると今度はすんなりドアが開く。ドアはすんなり開くようにはなったが、作業は一からやり直し、到底書斎にすべくもない。仕方が無いから玄関脇の別棟を書斎とすべく本を運び直すことに。二階から階段を下り、庭を横切り、玄関脇の別棟まで、独りで幾箱ものダンボ−ルを運ぶ辛さといったらなかった。しかも玄関すぐ脇の小部屋の書斎。これじゃあ、まるで番犬じゃねえか。

 

そのときからじゃ、本は一切貯めんようにした。よほど愛着があるもの以外は全部処分するようにした。売れるものは売り飛ばし、売れんものは廃品回収。もっとも廃品回収のおっさんも、こんな学術雑誌はどうしようもない、むしろ金貰わんことには回収できんとほざきおる。至極上質の紙を使った立派な本が二足三文ならまだしも、金まで払ってお引き取り願うとは世も末じゃ。

 

いまでは本は殆どない。有るのは医学雑誌の興味あるページだけ、記事ごとに破いたものが山三つ分。あとは読みかけの小説が二、三冊。農事関係、釣り関係、作陶関係、植物図鑑など、さほど大きくもない本棚がたったひとつだけ。よって家は傾かない。よって知識も身に付かない。

 


 

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