第百七十三話:『つれづれわぶるひと』

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つれづれわぶるひとは、如何なる心ならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。世にしたがへば、心、外の塵に奪われて惑干やすく、ひとに交われば、言葉よその聞に随ひて、さながら心にあらず。ひとに戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事定まれる事無し。分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔えり。酔いの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたること、ひと皆かくのごとし。いまだ誠の道知らずとも、縁を離れて身を閑にし、事にあづからずして心をやすくせんこそ、暫楽しぶとも言ひつべけれ。「生活(しょうかつ)・人事(にんじ)・伎能・学問などの諸縁を止めよ」とこそ、摩謌止観にも侍れ。       (徒然草 第七十五段)

 

やることねえし、話し相手も居らんでと嘆くようなやっちゃ、いったい何考えてるんじゃろか。ひとにもものにも煩わされんで、たった独りで居られる境遇こそが望ましいのに。

社会に出りゃあ、それこそ世俗の詰まらんことに心を惑わせて、ひとと付き合やあ、相手の思惑によいしょしてよ、自分の気持ちとは大きく離れたこと喋っとる。ひとと戯れ、ものを争い、あるときは恨んでみたり、またあるときは喜んでみたりと、人間、ゆらゆらぷかぷか定まらんこっちゃ。欲にかられて小賢しい猿智慧を矢鱈働かすもんじゃから、さて損したじゃ、さて得したじゃと、ほんに煩いこっちゃ。何を急くんか知らんけど、せわしないこっちゃ。自分の本当の心の内さえ知らぬまま、しかも知らんことさえ気付いとらん。情けねえけど、皆そんなもんじゃの。

悟りの境地にや程遠かろうが、ともあれ外界との関わりを断ち、身を静かに保ち、俗事に囚われぬように心安らかにするこっちゃ。それでこそ、生きているこのときをほんの暫くは楽しんどるっていえるんじゃなかろかのう。

「生活・人事・伎能・学問などの諸縁を止めよ」と、あの天台宗の聖典、摩謌止観にもあるじゃねえか。

 

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